栗野宏文(セレクトショップ顧問) ・されど洋服屋
東京世田谷育ちの67歳、大学卒業後、ファッションの小売りの世界に入り、販売員からバイヤー、店舗のプロデュース、売り場の演出など何でもこなしてきました。 またパリコレなど海外のコレクションや名店をめぐり、著名なデザイナーやバイヤーたちと交流を重ね洋服の目利きとして海外でも知られています。 今年の8月にはコロナ禍でのファッションの役割を考えた、初めての著書「モード後の世界」を出版しました。 今も店頭に立ち接客もされるという栗野さんに伺いました。
セレクトショップは和製英語で日本しか通じないのですが、30年ぐらいこの言葉を使い続けてけています。 最近は海外でも通用するようになりました。 海外ではコンセプトストアとか言われています。 洋服屋の品揃え店です。
クリエーティブディレクションとは物に関する方向性を研究して示唆してガイダンスします。
コロナ禍で店を開けられないという事になり、インターネットで販売することは始めていたのでサポートになりました。 しかし、人と会っていろいろ話をする中でお客様の求めているものを薦めるのが基本的な仕事なので、人に会えないという事は大きな障害です。
どのような状況下でも、人が洋服を選んで言葉化してメッセージを発信しなければいけない、というのは今回「モード後の世界」を出版した理由の一つでもあります。
服は人間にとって暑さ寒さを防ぐものではなく、自分の気持ちを高揚させるものだったり、自分に自信を付けさせてくれるものであったり、そういうことをコロナ禍で多くの方が感じたようです。
1953年親の仕事の関係でニューヨークで生まれました。 居たのは1年だけでした。父は外務省に勤めていました。 母の影響で、いい素材で仕立ての服を母がしていたのでいろいろ教わりました。 中学生ぐらいから自分で服を買うようになりました。 ビートルズみたいな洋服を着たいなあというのがスタートポイントでした。 ヒッピー的なものを真似していました。 イギリスのロックの音楽を沢山聴きました。 デヴィット・ボウイとの出会いがあり、歌詞が文学的で哲学的で辞書を引き引き聞いて英語の成績は良かったです。 英語もしゃべれるようになりました。 日本のロックバンドの黎明期でもあり沢山コンサートに行きました。 大学に入ってレコード屋さんにアルバイトをしてそこへの就職の話もありましたが、音楽は一番好きだったけれど、2,3番目に好きだった洋服の道に進むことにしました。
ファッションと音楽は若いころからずーっと今でも同居していますね。
1977年に会社に入って、日本では一番大きい小売りの会社で本店が上野にあり、そこに配属されました。 半年後靴、雑貨の仕入れも任されて1年半で疲れて、辞めてしまいました。 その間に一番優しい上司と一番怖い上司について、それぞれ凄く勉強になりました。
時間というものを無駄にするな(1~4階までの階段は駆け上がれとか)、大きい声を出せ、商談は手短に、とかお客様に対する言葉使いなど厳しく教わりました。
その後1978~89年までセレクトショップのはしりみたいなところに11年間勤め接客の仕方を磨きました。 お客さんに喜んでいただけるような、立場を置き換えることが大事だと思います。
1989年に会社を立ち上げ99年に上場しました。 日本でもソフトスーツが流行したが、世界基準からするとだらしなく見えるので、イタリア、イギリスなどのやり方で日本に紹介して、それを日本製にすることによって、日本のサラリーマンのスーツスタイルが変わったと思います。
パリコレなどもここ3年間はサステナビリティ(持続可能性)をテーマの一つにしています。 リサイクルとかオーガニックとか、そういう考え方の人が多くいます。 若いデザイナーたちが社会性、特に持続可能性に対してファッションは何ができるだろうという事をテーマにしています。
ファストファッションは作られる過程で問題があまりにも多くて、土に埋めても永遠に土に還らない、海洋汚染してしまう、そういう素材が多かったりします。 後ろ指を指されないような状態にしないとネガティブな意見が出てしまうのはやむを得ないかなと思います。
飽きたら捨てればいいという事、なぜそんなに安いのかというとたくさん作らないと安くならない。 それは明らかに供給過剰で、世の中に供給されている洋服の半分は捨てられているという説もあります。 売れなくて余った商品にも税金がかかり、寄付しても税金がかかる。 原因の一つは価格の過当競争をしてしまっているという事があります。
愛着が湧くようなものを提供するのが、サステナビリティ(持続可能性)の最も重要な主題だと思っています。
日本の縫製技術、生地屋さん、販売技術、は世界レベル、特に縫製技術、生地屋さんはトップです。 ここ5年ぐらい、欧米のトップデザイナーたちもわざわざ日本で作ったりしています。 日本の生地を使うデザイナーは非常に多くて、日本のデニムは世界一です。 打ち込み生地も世界のトップレベルです。
西洋の服は階級から成り立っています。 日本だと誰が何を着ててもかまわないというのは日本のファッションの独自の在り方です。 性的誘惑、ヨーロッパの上流階級の舞踏会などでは肩や胸をたくさん出したものを着ていて、ヨーロッパの洋服では性的誘惑というものがどこかでその服の本質を支えていて、もてなければいけない服、男性も女性も一緒です。 日本ではそんなに気にしなくてもいい。
7年前ケニアに行って、彼女たちのビーズ細工をバッグのなかに取り入れることをスタートしました。 手織りの生地を織ってもらって日本にもってきて洋服に仕立てたりして店頭に出しています。 アフリカとのデザイナーの交歓のファッションショーをやりました。 西洋では知られていなかったような染色技術、手織りの技術、色に対するセンスなどがあり、欧米中心の文化はピークアウトして、次の波が来ている中にアジア、アフリカがあると手ごたえを感じます。