2020年12月17日木曜日

宇田川清江(元「ラジオ深夜便」アンカー)・「ラジオ深夜便」放送開始30周年 第一回

 宇田川清江(元「ラジオ深夜便」アンカー)・「ラジオ深夜便」放送開始30周年アンカートークショー 第一回

最初「特集 ラジオ深夜便」としてスタートしました。   民放さんは早くから深夜放送をしていたので、民放とは反対のことをしましょうと言うことになりました。   担当者、アナウンサーがゆっくり話すことでした。   音楽は全曲流す。  情報は素早く流す   この3つでした。

当時ニュースは女性は読めませんでしたが、深夜便では読むことが、OKとなりました。  しかし、途中からアナウンサーが来て隣のニューススタジオから読むようになってしまいました。

平成2年にスタートとなっていますが、「ラジオいきいきラリー」というお試し期間がありました。   それが平成元年11月 「ラジオいきいきラリー」という名前で1週間始まりました。  担当ディレクターも決まっていませんでした。   平成2年4月28日に開始して、私は5月4日に担当しました。  午前0時から始まっていました。   

お便り、音楽のリクエストはしないことでした。   最初の挨拶と最後の挨拶に対しては同じような事、他の人がする挨拶とは違う挨拶をしようと思って、本当に考えました。    新宿の空に満月が輝いていたので、地上の動と、空の静、これを話そうと思って、「新宿の空のど真ん中に・・・」と放送したら、「ど真ん中とは何だ・・・どという言葉はいい言葉ではない・・・」とおしかりの手紙がきました。   広辞苑を調べたら接頭語として使わる、例えばと書いて、ど真ん中と書いてありました。 翌週そのことを言いました。  そのあとに又「あんな言い訳をするんだったら、まず謝りなさい。」という手紙が来ました。   ほかに四角い封筒が来て「視聴者との言葉のやり取りが非常に面白かった。  自分はNHKの川柳の審査をしていて、優秀賞になったのが「一級の孤独 五万のど真ん中」だったので、あなたは気にすることはない、というお便りでした。 名前を見たら坂本朝一(ともかず) と書いてあり、NHKの会長でした、びっくりしました。

ラジオ深夜便を始める前に、ブラジル、ペルー、アルゼンチンなど向けに国際放送「お便りありがとう」を30年近く担当していました。   よくあなたの声は母の声のような気がするとお便りをいただきました。  来てくださいという事で自費で行くことになりました。 当時50代でしたが、会場にたくさん集まった人の中から80代の方が立ち上がって一言「おかあさん」とおっしゃいました。  本当にうれしかったです。  深夜便の時にも同様なことを言われました。  

穏やかに過ごしたいという思いがあり「今日一日どうぞ穏やかな日でありますように」という言葉を私のきめ文句にして、さようならではなく「ご機嫌よろしゅう」という言葉を申し上げました。

冬至と立冬を間違えたことがありました。  直ぐ謝りました。 そうしたら新聞の投書欄に謝り方がよかったと投書がありました。

お便りが自然に届くようになり、お便りも発表するようになりました。  どうしても忘れられないお便りがあります。  

私はがんを患っている。  昼間はお客さんが見えたり、いろんな音があるから痛みは忘れているけれども夜は痛みが大変つらい。 ラジオ深夜便を聴いているとその痛みをちょっとの間でも忘れることが出来る、というお便りでした。  その方は勤労動員で横浜の田奈の森というところで手榴弾を兵隊さんと共に作っていたそうです。  自分は戦争の被害者だと思っていたが、ある日洗礼を受けて、教会で説教を聞いていたら、「自分は被害者だと思ってても、もしかすると加害者であるという事もありうる」という事を聞いて、自分が作った手榴弾で亡くなったかもしれない、という事でその人は一冊の本にしました。  「田奈の森」という本で私に送ってくださって、番組に出ていただくことになりました。  募金もして田奈の森に「平和を祈る」と書かれた石碑を建てました。   昭和36年日本に返還されて上皇のご成婚のお祝いに昭和40年に「こどもの国」としてオープンしました。

平成4年4月から11時10分からの放送になりました。  夜間中学の卒業作文集「夜光虫」を送っていただきて紹介しました。  運転手さんからお便りをいただき「あれは危険です。 私は涙があふれて車を停めて放送を聴きました。」という内容でした。  それを次に紹介しましたら、新聞に載って、運転手が感動したと紹介しているが、あれは自画自賛である、というお便りがありました。   それ以来どんなに良かったとか、褒めてくださったお便りをいただいても放送しないことに決めました。

淡谷のり子さんの「別れのブルース」を放送しましたら、或る方からお便りをいただきました。  戦争中恋人ができて戦地の赴くときに「待っていてほしい」と言って、淡谷のり子さんの「別れのブルース」のレコードを私にくれて戦地に向かいました。  「待っていてほしい、というので私は今でも待っています。」と言うお便りでした。  吃驚しました。

手紙の紹介があります。  「・・・私は淡谷のり子さんの歌が大好き、なかでも「別れのブルース」は一生涯忘れようとしても忘れられることが出来ない思い出深い今日なんです。・・・今は79歳です。  ・・・海軍の軍人さんと知り合いました。 私が20歳、彼が22歳でした。  ・・・戦地に向かう時にもらったのが、一枚のレコード「別れのブルース」でした。  きっと待っていてくれという優しい言葉を胸に抱いてずーっと待っています。  いまだに待ってます」というお便りでした。

他の方から「もしかしたら、それは私の従兄弟かもしれない」というお便りをいただきました。  是非お会いしたいという事で、それぞれの住所を連絡したら、ずーっと彼女を待っている方は存命でした。  実は彼も独身で、すでに亡くなっていました。

夜中に聞いていたから、胸に秘めていた初恋の思い出をふっと私に漏らしてしまったのかなと思いました。  夜中の放送は胸に沁み込むことがあるのかなあと思いました。

ラジオ深夜便はほとんどアドリブで、ご自由にどうぞという事でした。   列島今日の動きだけは原稿がありました。   「列島」のアクセントが違うという匿名のお便りがありました。 私が間違っていました。

私と皆さんとは同じ時間帯を共有していて、それが連帯感です。  ラジオの力は大きいなあと思います。