マンス・トンプソン(写真家) ・【人権インタビュー】"理由なき黒人差別を生きる"ということ
アメリカ ミネソタ州ミネアポリスで黒人男性のジョージ・フロイドさんが白人警察官の膝で首を押さえつけられ亡くなるという映像が世界に衝撃を与えました。 この事件をきっかけにこれまでの警察官による黒人への暴力的な対応にアメリカだけでなく世界中に抗議デモが広がりました。 この現状に遠く離れた日本にも心を痛める人がいます。 黒人のマンス・トンプソンさん(47歳)です。 マンスさんはアメリカで大学を卒業し就職した後、日本の文化に憧れて来日しました。 日本に住んで今年で21年になります。 今は写真家として仕事をしながら暮らしています。 生まれたときから差別され抑圧されながら生きるとはどういうことか、マンスさんの生い立ちから振り返ってもらいました。
生まれはミシガン州のランシング市です。 両親は大学院生だった、父は経済の博士を取っていて、母は栄養師を取りました。 生まれて間もなくバージニア州で二人とも大学の教授をしていました。 父はビジネスを始めてその後ずーっと母と会社を経営していました。 生活を豊かなほうでした。
幼少期はシアトルで過ごしていました。 周りは白人が多かったです。 黒人の生徒は姉と私だけでした。 差別的な経験はなかったです。 一回だけあり温厚な母が怒りましたが、私自身は何があったのという感じでした。 8歳の時にセントルイシスに引っ越し父は車両を作る会社を経営していて13年間住んでいました。 黒人もシアトルよりも多く、道を挟んで白人と黒人が別れて住んだり仕事をしたりしていました。 一般的な家の価値は黒人が住んでいるところは7万3000ドルぐらいで白人が多く住んでいるところは33万5000ドルぐらいでした。 大学を出ているのは1割に対して、白人の多く住んでいるところは7割ぐらいが大学を出ています。 住んでいるところでほとんど一生が決まってしまう。
少年だったので深くは考えなかったが、高校生の時にサッカーの試合があり、私は試合中に黒人を侮辱する言葉を浴びて、私はショックを受けました。 怒りのあまり5分ぐらい何もできませんでした。 初めて白人からはっきり差別を受けました。
車を友達が運転して同乗していたら、警察に止められて武器を持っているかドラック、麻薬持っているのかとか、犯罪歴があるかなど聞かれて何もしてないと言ったら、僕たちは勝手に犯罪歴など作れるといわれ、本当にショックでした。
警察との接触した場合危険があるので、警察との接触を安全にできるような仕方を親から学びました。 動作とかポケットから免許証などを取り出すときに、ポケットから取り出していいかどうか、確認するとか、不審な行動と受け止められないようにする。
大学の時にも車を停めて話をしていた時に、パトカーがUターンして後ろに停まったことがあります。 車を出たときに銃を背中の後ろに隠していました。 ただ話をしているだけだと言って、学生証を見せました。 そうしたらこの道は車を停めてはいけないから、帰るように言われまいた。(対応の仕方によっては怖いと感じました。)
街に買い物に行くだけでも緊張します。 日本では安心します。
大学を出てスポーツ、仕事などで頑張って成功する人は少ないです。
子供のころから日本に住みたかった。 7歳の時に三船敏郎が出演した「将軍SHOGUN」という連載ドラマがあり、徳川家康の話のなかで、お城に忍び込む忍者に憧れました。 大学でもアジア研究が専門で日本の歴史、経済、文化など勉強しました。
日本での暮らしでも残念ながら差別があります。 命にかかわるようなことはないが、警察に止められてIDを見せてと言われたり、今年だけで2,3回あります。 止められるのは日本に来ている白人よりも断然多いです。
航空会社の宣伝でも白人のイメージが強いです。 役者でも社長、弁護士など白人がほとんどで、現在でも白人が有利な社会になっている。
今年渋谷と代々木で人種差別反対の行進をしました。 3600人ぐらい参加していて日本人も1000人ぐらいいました。
普段は映画関係、記者会見、音楽、ファッション、花火など幅広く撮っています。
人種差別のことよりも人と人のふれあい、人間性を撮ろうとするほうです。
黒人に生まれただけで苦しんでいる人が大勢いるという事を知ることが大切と思います。
9・11では3000人ぐらいのいろんな人種、いろんな宗教の人たちが亡くなり怒りが消えないと思いますが、黒人は一日何人かが殺され、ずーっと毎日続いています。 9・11の何百倍、何千倍となっていると思います。 誰にでもできる事はいろいろ知ることだと思います。
黒人の学者、教育者、歴史、小説とか、それを自分から興味を持って触れ合おうとするといいと思います。
どんな人間でも命は大切、差別するのではなく平等で考えてほしい。