2020年12月14日月曜日

三井洋子(三井梨紗子選手の母)     ・【アスリート誕生物語】リオ五輪アーティスティックスイミング 銅メダリスト

三井洋子(三井梨紗子選手の母)     ・【アスリート誕生物語】リオ五輪アーティスティックスイミング 銅メダリスト 

リオデジャネイロで銅メダルを取ったのが22歳、リオの後引退を表明しました。    母親としては是非東京でも見たいという思いはありました。   小さいころからシンクロをやっていて、学校の行事にも出れないことも多くて、高校の卒業式も出れなくて、本人としてはもっと違う視野を広げたいという事が凄く大きかったみたいでした。   大学院に入っていたので次のステージを彼女は見ていたみたいです。   自分で決めたことは絶対に通すところがあったので、辞めることになりました。

今年の春に結婚しました。  相手は水球をやっている選手です。  紹介されましたが、明るくていい青年でした。   結婚のために辞めたという事ではありませんでした。

2歳半から水泳を始めて、ピアノ、習字、ジャズダンスなどもやっていました。   やりたいことはやらせようと思って育ててきました。   競泳をやっていて、早かったので競泳用のクラブへの要望もあったが、リズム感とかも良かったのでアーティスティックスイミング にいいのではないかと思いました。

東京シンクロナイズスイミングのクラブを紹介してもらいました。   すぐに頭角を現してきて、競技を始めて2年目の小学校5年生でクラブのエリート教育メンバーに選抜されました。 

クラブでは毎日練習があり、週に一回バレエの練習もしました。  中学受験は塾へも行けず上の息子が教えて入ることができました。   他にも習い事をやっていましたが、エリートに入った時からシンクロ一本になりました。

ジュニアの選考会があり、受かって高校2年の時に世界ジュニア大会があり、ソロとデュエットに出られて、ソロは4位、デュエットは5位でした。   メダルを落としたことに対して残念に思ったのか、日本の代表を背負うという事を意識し始めたことと思います。

その時にはしょぼんとしていました。   それから責任感が強くなったように思いました。   

ロンドン大会予選に行って、微差でウクライナに勝てて、本戦に行くことが出来ました。 チームの補欠争いみたいなポジションにあって、テクニカルのほうはでるとは判っていましたが、フリーのほうは出れるのか心配でしたが出れてよかったです。  チームで5位入賞で、本人はメダルを逃したのが強かったようです。

井村雅代さんが復帰して、井村先生の元で練習をしました。   井村先生は親の顔を見ただけでどの子の親か判ると言っていました、それまでの育ち方とか。  まずは人としてちゃんとしていなければいけないと言っていました。  自分で決める限界はない、限界は私が決める、というような感じでした。

躾の部分、親がちゃんとしていなくてはいけない、親が浮かれれてはいけない、平常心でいつも、という事は言われました。  メダルに届くために練習はここまでしなければいけないんだという事で、今までとは全く違ったと思います。  体に沁み込ませなければいけないという事は教わったようです。   先生は若い選手の考えが判らないところもあったようで、先生と若い選手とのつなぎ役として先生とはいろいろと話はしていたようです。

2016年リオデジャネイロオリンピックのデユエットでは先輩の乾友紀子さんとのデユエットでした。   乾さんは足がすらっとして綺麗でしたが、娘はO脚っぽかったので足をまっすぐに見せるやり方などを教わりました。  その努力を先生が見ていてくれました。  朝練の前の特別練習も先生と二人でやりました。

当日は井村先生の誕生日でもあり、デユエットもチームも銅メダルを取れてよかったです。 初めて本戦の応援に行くことになり、どきどきしました。

試合後は会う事も出来なくて、声を掛けてやることは出来ませんでした。  後で銅メダルを首にかけてもらえました。

覚悟、責任感そういったものが強くなったんだなと思いました。

娘を変えたという事はいろいろな人との出会いだと思います、特に井村先生には大きな勉強になったと思います。

娘に望む親孝行とは、一日一日丁寧に元気に暮らしてくれればと思う事と、ちょっとそのお手伝いが出来ればと思います。