2020年12月31日木曜日

村上祥子(料理研究家・管理栄養士)   ・78歳 ちゃんと食べて、好きなことをする

村上祥子(料理研究家・管理栄養士)   ・78歳 ちゃんと食べて、好きなことをする 

78歳、福岡女子大学家政学科を卒業後、27歳の時に自宅で料理教室を始める。  数々の料理コンテストで入賞し、料理研究家として知られるようになりました。  ご主人は6年前になくなられて、3人の子供たちは独立して、村上さんは現在一人暮らしです。  福岡で自宅に備えたキッチンスタジオを拠点に活動しています。  40代で大病を乗り越えた経験から、毎日ちゃんと食べる事が何より大切と実感し、一日三食をきちんと食べ、実現したい夢に向かてパワフルな日々を送っています。

料理研究家として50年。  人を繋いでいく道具としては料理はいいなあと思います。

メインスタジオを東京にもちながら、日本全国の講演会 料理教室 福岡のスタジオなどをかけめぐる。   福岡に住まいを移しました。   主人を6年前になくして前を向こうという気持ちになるまで3年かかりました。   

料理の本は500冊ぐらい出しています。  最新の本は「78歳の一人暮らし ちゃんと食べる好きなことをする」です。   自分の好きなことで後の人生をかけていただけたらいいなあと思って、私の事を語らせていただきました。  自分の好きなことをするためには、身辺整理をしないと時間が生み出せません。  私は65歳の時に色々整理をしました。   運動が全くできないのでトランポリンで100回跳びます。  

1942年生まれ、子供の頃はなかなか勝気な子で、母親思いの子だったようです。  5歳の私が食材の買い物などをしました。   7歳に時には七輪で火をおこして揚げ物らしきものをやっていたようです。   生活が持ち直してきて、お手伝いさんが来るようになって、料理はお手伝いさんから教えてもらいました。   見よう見まねで生活の術をやっていきました。

福岡女子大学家政学科に入って、アメリカに行きたいと思って英語の勉強をしたりして、奨学金を貰ってゆく算段をしたのですが、父親に見つかって頓挫しました。  アメリカのコンピューター会社に就職を決めましたが、夫になる人から止められて結婚したほうがいいのではないか、と言われて就職は辞めることになりました。  夫が会社に行っている間に家庭教師、ピアノの先生とかやりました。  

夫の友人がアメリカから帰ってきて、その奥さんがアメリカ人で日本の料理を教えてもらいたいという事で、それが料理の先生の始まりですね。  その人から口コミで広がってアメリカ人の奥さん10名ぐらいを対象に教えるようになりました。   料理は以前から好きでした。    そのうち料理英語が読めるようになり、少しずつ進んでいきました。  

大分に転勤になり、料理コンテストがあり、優勝して褒美としてアメリカに行くことができました。

30代の後半に顎の骨の慢性骨髄炎と診断されました。  18本歯を取って骨髄を掻把して4年かかりました。   今は全く大丈夫です。

母校福岡女子大学で、1985年頃は糖尿病の予防、改善が花の時代で、カロリーを抑えるためにご飯の量を控えたりというような指導をしていましたが、カロリーを抑えるのなら電子レンジという方法があるのではないかと思って、電子レンジは油を使わないので、チャーハンでもほんのちょっとの油で済むので、学生さんに教えることになり、電子レンジ使いが上手くなっていきました。(43歳の頃)  以後学会の論文を作るようになりました。  学生さんたちはすぐに習得していきました。

1996年東京に出向いてきました。   マグカップでの料理が一人暮らしの方には特に好評です。   100gが600wで2分という原理があり、中に入れたものの重ささえわかれば、電子レンジが煮炊きをやってくれます。

地域の方にお昼だけ出す村上食堂をやってみたいと思っていて、今伝わらなくなっている大衆栄養食、お惣菜、こんにゃくの炒り煮だったり、お昼だけ提供すると言う事をやっていこうと準備をしています。  大人のためのいろんな国のお菓子のレシピーの本を作りたいと思っています。