ウスビ・サコ(京都精華大学 学長) ・「アフリカ出身の学長、日本の国際化を語る」
サコさんは漫画学部などで知られる京都精華大学で教職員の投票によって学長に選ばれ、2018年4月に就任しました。 出身は西アフリカのマリ共和国で日本の大学で初めてのアフリカ出身の学長です。 来日して29年目、妻は日本人で日本国籍を取得しています。 京都精華大学はサコ学長の就任と同時に「ダイバーシティー(多様性)推進宣言2018」を発表、2年続けて留学生が新入生の30%を占め、留学生の総数がおよそ900人、全学生の24.3%と国内でも上位です。 サコさんはこれからのグローバル化が進む社会で活躍するには日本人も留学生も同じ土俵で学んで競争し、お互いの考え方を学びあうことが必要だといいます。 しかし、日本には国際化を阻む問題が残っていると指摘しています。 それは何でしょうか、サコさんに伺います。
マリに23ある民族言語うちの3つぐらいを話し理解出来ます。 マリのフランス語は公用語で、第一外国語が英語で、中国語も日本語も話せます。 29年前に来日、大阪の日本語学校で日本語を勉強して、京都に住んでいます。 リラックスしている時には関西弁が出てきます。
マリは内陸国で沢山の国に囲まれていて、中心的な役割のあった国だと思います。 気候的にも多様性がある国だと思っていて、人種も、民族も多くて非常に歴史もあって多様性のある国だと思っています。 23の民族があるなかのソニンケ系の家系で生まれました。家族間、コミュニティー間の非常に強い民族集団だと思います。 サコ家の長男です。
父は国家公務員で母は専業主婦、3人兄弟で妹、弟がいます。 私はやんちゃでした。
親戚に6年間預けられました。(小学4年から中学3年まで) 学校まで数kmあり、40℃を越えるときもありました。 高校卒業後、数人が選ばれるマリの国費留学生として中華人民共和国の北京語言学院に派遣され留学、その後南京市の東南大学で建築学を学ぶ。卒業後大学院で建築デザインを専攻。 1991年に来日、京都大学大学院工学研究科の修士課程を経て京都大学大学院建築学専攻博士課程修了、博士(工学)。 2001年に京都精華大学人文学部講師に就任。
中国は留学生に対して条件が良かったが、いろんな国の人との出会いがあり、日本人の友達ができて、何故か日本人だけが人工的に見えました。 冷凍食品とかお湯を入れればすぐ食べられる料理とか、小さいスピーカーでも音がいいとか、先進的なのかなあと思った。 建築をやっていたので日本に興味があり、たまたま夏休みに日本に来たが、中国で見た日本人とは全く違っていた。 庶民的で凄く人間らしさを感じて、マリに通じるような共同体を感じました。 中国では研究するときに自由度が無かった。
日本に来て国籍を取り、結婚をして子供が二人います。
国籍は日本人ですが、アイデンティティーはマリだと感じています。
京都精華大学はサコ学長の就任とともに「ダイバーシティー(多様性)推進宣言2018」を発表しました。
グローバル展開する=うちの学生たちを外に出して経験してもらう、留学生を入れて学生としてどうやってそういうものが実現できるか、一致団結しないといけないという事で「ダイバーシティー(多様性)推進宣言2018」を行いました。 留学生が全体の24.3%を占めていておよそ900名。
日本では留学生に対していろんな制度が開かれていない状況にある。(留学生は区別されている。)
京都精華大学としては区別をなくしてゆく一つの動きとして、試験の制度の改革からスタートしました。 留学生は目的意識が高い、非常に競争性をもって日本の大学に入ってくるので、彼らがいることでうちの学生たちの姿勢も変わってくる。 留学生はお客さんではない、うちの学生という形です。
留学生のことを知るという事はある意味自分の見直しにもつながる。 日本人としては当たり前と思っていたことが通じないこともあるわけです。 それが見えてくる。 歩み寄る姿勢をとることで見えてくる。
日本人を均一化して、それをある意味で当たり前のように扱う。 日本の社会も同じことをやろうとするわけです。 あるものはすべてみんなに通じるだろうと思われていた。 外国人、留学生とかが増えてきているのに自分たちの姿勢を変えようとしない。 異文化に対する接し方に微妙なところがある。 空気を読むと言って、日本人同士が協調性があるという風に思っている。
旅行のゼミで、同じ部屋になって喜んでいる子が、そのあとにいやだと言ってくるが、その場では言わない(その場の空気を読む)。
京都ではいいところか悪いところかわからないが、極端に人を避ける場所で、共存のカギかもしれないが、相手のことを重んじるのか、ストレートに言わないことが相手に余裕をあたえて決めてくれというような話ですが、普通に通じない。
日本人はなかなか言葉では言わない。 相手に伝わらなければ意味がないので、今後変わっていかなければいけないと思っていて、これは大きな課題だと思っています。 国際化してゆく多様化してゆく時代にどこまで通じるかが課題になると思っています。 中国人はストレートに伝えて喧嘩をします。 日本の場合は同じようなことを聞きたくても聞かない、言いたくても言わない、自分自身で我慢してゆく。 本当に国際化、グローバル化してゆく中で、自分自身で我慢してゆくというような事はやったらいけないことだと思います。
衝突すること自体がすべて悪いとは思っていなくて、衝突と思っているかもしれないが議論だったり、話し合ったり、調整だったりする。 話すことによって相手の気持ちも伝わってくるし、自分の気持ちを堂々と相手に伝えることになる。 コミュニケーションが重要だと思います。 どうやって異文化系の人たちとコミュニケーションをするかだと思います。
マリの挨拶は下手をすると5分かかります。 共同体のお互いの存在を確認する手段ではないかと思います。 お互いが元気かどうかをいって、職場、周りの人たちが元気かどうかを確認して、そこから話が発展して行ったりする。
マリでは遠慮しない。 遅くなってしまって電車で帰れないときには、友達の家に行って堂々と泊まる。
私の家ではお客さんが来て、一日用事があると言って来て、いつの間にか1年間いるんです。 当然ながら食費は求めない。 いつ帰るかは聞かない。 いつの間にか家の行事に入ってくる。 マリでは迷惑をかけるという事は相手との信頼関係の確認のプロセスの一つでもあるわけです。
迷惑をかけあう社会というのは本当に相互扶助が自然に生まれる社会だと思います。 お互いに気に掛け合う社会を作っていかないと本当に精神的にもどんどん孤独になってゆくという事があるのではないかと思います。 迷惑をかけあいましょう、本音でものが言えるようになりましょう、それを実現することで真の国際化が実現できるのではないかと思っています。 実現するためには、様々な教育制度の改革が必要だと思います。
日本に完全に染まると意味がなくて、まさに均一的な日本を維持することだけになるので、多様な人がいるという事は、自分の文化を持ったまま日本社会の一員になってゆく、これが日本にとって大切なんじゃないかと思います。