宮本信子(女優・歌手) ・【私の人生手帖(てちょう)】
朝の連続TV小説「あまちゃん」、「ひよっこ」などで確かな演技でおなじみの宮本さん、映画では夫である故伊丹十三さんの「お葬式」など、10の作品に主演、「マルサの女」では数々の映画賞を受賞している実力派です。 その宮本さんの実質的なデビューは1963年NHKのラジオドラマです。 ともちゃんと言われる実際の魚屋さんと宮本さんが街で偶然出会って一晩会話を交わし、朝別れててゆくという時間をドキュメンタリータッチで収録して高い評価を得ました。 それから57年、コロナの影響で今回は来年4月に延期されましたが、松竹映画100周年記念映画に沢田研二さんが演じる主人公の妻役で出演します。 デビュー当時の意気込みやコロナ禍での映画製作、今でも共に生きているという伊丹さんへの思いなどについて伺いました。
松竹映画100周年記念映画『キネマの神様』 延期されて残念でした。 4月にはクランクインの予定でしたが吃驚しました。 映画はそんな状況でも慰めたり励ましたり見えていない光が見えてくるような、そんなふうになっているのではないかと思っています。
NHKのドラマで伊丹とは共演しました。 「あしたの家族」で医師の長男が伊丹で私は看護婦役でした。 おしゃれな人でオープンカーで来ていました。 結婚が1969年です。 年齢は一回り違っていました。 本を10冊ぐらいバーンと置いてこれをしっかり読めば料理はできるといわれて、一生懸命やりました。 伊丹の料理は早くておいしいです。 子供は欲しいと思っていたが、世界の人口が多すぎるから産まないほうがいいと言っていましたが、二人産んでよかったと思います。 夫は子育てに夢中になってやっていました。 東京では子育てはよくないと言って、湯河原に移りよかったと思いました。 湯河原を舞台に「お葬式」が生まれました。 父が亡くなってこれは映画になると夫は言ってメモを取るように言われて、それが映画になるとは思いませんでした。
13年間で10本やらせてもらって、宝物の思いです。 伊丹映画の場合はリアリティーが欲しいという事だったので、どうやってその人物が生きてきたかという面構えを大事にしていると思います。
「あなたは女優なんだからね」、という事を言い続けてくれたのが一つの大きな支えになりました。 それと小唄を結婚してから始めて、子育て中でも15分でもあればお稽古をしていました。 小唄から「あげまん」の映画へとなりました。 現場では厳しかったったので、必死にやりました。
伊丹監督は自分で俳優をしていたので、とっても俳優の気持ちがよくわかるので、よくあったような気がします。 脚本家としての伊丹十三は凄いと思いました。 組み立て方、構成、取材をしてその人をどういう風に見るかとか、洞察力、そういうことが全部ちりばめられて一つの台詞になったりしている、素晴らしい脚本家だと思います。
1997年に伊丹は亡くなりました。 舞台のほうに近づいていって、或る番組で歌って凄く楽しかったです。 ジャズのほうに広がっていきました。
『あまちゃん』の時には東北の大震災の時で、工藤勘九郎さんの素晴らしいセリフがいっぱいあったりして、いろいろ覚えています。 俳優はいいセリフを言いたいです。 そのセリフをどう表現したらいいか、考える事も好きです。 女優という仕事は面白いです。