藤木大地(カウンターテナー) ・【夜明けのオペラ】道なきところに道をつくりたい
1980年生まれ、東京藝術大学音楽学部声楽科テノール専攻卒業後,新国立劇場オペラ研修所第5期生修了、イタリアとウイーンに留学。 2011年、それまでのテノールからカウンターテナーに声種を転向する。 2012年、第81回日本音楽コンクール声楽部門にて優勝。 2017年、東洋人カウンターテナーとして初めてウィーン国立歌劇場デビューを果たしました。 今年の秋には新国立劇場でブリテンの「夏の夜の夢」、バッハ・コレギウム・ジャパンのヘンデル作曲「リナルド」と二つのオペラで主役を務めました。
「第9」が毎年ありましたが、今年は一回もないので今年は寂しい年末です。 演奏会が無いので練習もしないので、使っていないので声帯は健康になりました。 7月にはリサイタルを行うことができました。
*マーラー作曲 交響曲第2番ハ短調「復活」 歌:藤木大地
女性は上からソプラノ、アルトを担当して、男性はテノール、バスに別れるが、そのなかでアルト(女性の声域)を担当するんです。
子供のころから歌は好きでしたが、プロ野球の選手になりたかった。 高校の時に数学が苦手で、音楽を勉強したいと思ったのでレッスンに行ったら褒められて、音楽の基礎からピアノとか一生懸命勉強して、東京藝術大学音楽学部声楽科テノールを専攻しました。
新国立劇場オペラ研修所へ入りました。 そこは5人しか受かりませんでした。
声楽の留学はイタリアだと思っていて、イタリアの声を身に付けたいと思っていましたので、イタリアに留学しました。 劇場の専属歌手になりたくていろんなところに手紙を出してオーディションを受けましたが、全部落ちてしまいました。 26歳で日本に帰ってきて、歌手はあきらめ気味でした。 声楽を始めたころに初めて買ったCDがルチアーノ・パヴァロッティの二枚組のベスト盤でした。
*ラ・ボエームから「冷たい手を」 歌:ルチアーノ・パヴァロッティ
イタリア留学は1年間で、イタリアでの就職活動は実らなくて、もう一度外国で勉強したいと思ってウイーンに行きました。 音楽と文化をバックグラウンドにした経営学を学べるところを探して入学できました。 友人たちにも歌を聴いてもらっていると、いい声だといわれました。 カウンターテナーに転向して、早く結果を出そうと思って頑張りました。 自分のレッスンメモを作って、いろいろメモを取って勉強しました。
2013年、ボローニャ歌劇場でデビューしました。 東洋人カウンターテナーとして初めてウィーン国立歌劇場デビューを果たしました。 プレッシャーは人の評価が気になったりだとか、失敗したらどうしようと心配するから起こることなので、ボローニャ歌劇場以降はプレッシャーはないですね、むしろ責任ですね。(自分以外にお客さんへの責任、劇場への責任とか)
道のないところに行って、パイオニアになる人は凄くかっこいいと思っていたので、歌手を始めたころから思っていたことなので、ですから野茂さんは大好きです。
声も消耗品なので、声が出るうちにやりたいことを全部やろうと思っています。
*「アメージン・ググレイス」 イギリスの牧師ジョン・ニュートン の作詞による賛美歌 歌:藤木大地