佐藤よりこ(西洋美術史家) ・【心に花を咲かせて】絵画の中の花が意味するもの
日本では絵画展があちこちで開催され、西洋絵画に触れる機会も多くて有名な絵画展に行くとすごく長い行列ができていて、絵の好きな方が多いんだなあと思います。 西洋美術史家の佐藤さんによると西洋画には描かれたものに意味があり、例えば花の絵でもただ綺麗で描いたという事ではないようです。 佐藤さんは高名な書家の家に生まれて書道を始めますが、西洋美術に興味を持ち、大学を出た後パリのルーブル美術館付属大学を卒業、帰国後西洋美術の奥深さを知ってほしいと、講演会活動や勉強活動を開催されています。 佐藤さんに西洋絵画の花が意味するものというテーマで伺いました。 佐藤さんは現代書道の巨匠と言われる村上三島の次女。
子供のころから書はやっていましたが、周りが上手くて段々と書はやりたくないと思う様になり、中学1年ではテニス部に入って書は辞めてしまいました。 高校生の頃から西洋美術のほうの勉強をしたいとフランスに行くことに決めました。 最初は彫刻が好きで、仏像と古代ギリシャの彫刻が似たようなものがあると思って古代ギリシャに彫刻を勉強したいと思って、それがきっかけでした。
フランス語を勉強しようと思って、神戸の仏文科の大学に入りました。 その後パリのルーブル美術館付属大学に入りました。 大学は美術館のなかにあるので毎日美術館に行くという感じでした。 有意義な時間だったと思います。
世界中から集まっていていまして、学年末の試験がとても難しいです。 外国人にとってはハードルが高くて卒業性の数がとても少なくて、それがあまり知られていない大学かもしれません。 私の時には700名が入って、歴史、文化、様々なことを皆さんにお伝えする重要な要素として、それらを学ぶ4年目が博物館学という講義があり、それを終えると保存館になるための試験を受ける資格が得られます。 その時には40名になっていました。 日本人は私一人でドイツ人が一人で、あとはフランス人でした。
宗教、民族、哲学,思想様々なことをいろいろなめぐり逢いを経ながら、地中海世界に始まった文明が北のほうへと移っていった時代まで、その変遷を肌で感じながら美術館の中をめぐることが出来るので多くのことを教えてくれます。 人間として学ぶことは沢山あります。 声なき声という事を良く言いますが、声は無くてもそのものを見ればそこに生きた証が感じられる。
花が美しくて、その美しさを描きたいという事があるとは思いますが、その花が持っている意味合いというのが西洋美術史には多くあって、意味というのは眼に見えないものをいかに美しい花でもって、目に見えない世界の本当の意味を知らしめたいという思いというのが多くのキリスト教的なものの考え方にあると思います。 象徴とか寓意というような言い方で表します。
エーゲ海文明から古代ギリシャローマ時代は自然主義的と言いますが、自然の豊かさを愛でて、ギリシャ神話の中に出てくる女神ヘーラーという最高神と言われるゼウス様の奥方ですが、その方のこぼれたお乳が大地に広がって白百合が生まれたとか、そういった象徴も出てきます。 聖母マリアの清純さ、純潔さ、母性の象徴としてキリスト教の中に受け継がれてゆく。 描かれているものはどれひとつとっても意味があると言ってもいいような世界であると思います。 19世紀まで続くこともあります。
聖書はラテン語で書かれていて、一般の人には読めないので、聖書の中の話を絵物語にして、イエスはこういう人だった、聖母マリアはこういう人だったという事感じることに意味合いは大きかった。 受胎告知、百合を持たせたことでマリア様は純潔だという事を言っているわけです。
ゴッホの「ひまわり」 ゴッホは牧師(祖父、父も牧師)の家庭で育って信仰を深く持っていた。 牧師はエリートであった。 勉強が得意でなかったので牧師の職業に付けなかった。 得意だったが画家になろうと思って、キリスト教的な意味合いを持った花がいくつか描かれている。 ヒマワリは信仰とかかわっています。 11点描いています。 ヒマワリは信者としての意味合いを持っています。 太陽を神と考えて、ヒマワリを信者として考えています。 或る意味ゴッホ自身でもあった。 しおれてしまったヒマワリも描いています。
「糸杉」というテーマも同じようなもの ヨーロッパでは糸杉はお墓の周りによく植えます。 死、再生を意味するといわれています。 受胎告知はキリスト教教義の中で最も根幹にあたる部分で、マリア様のお腹に神の子イエスが宿られる、その未来は磔にされる磔刑、聖母マリアは時折悲しそうな顔をしているのがよく描かれているが、死というものを念頭においた受胎告知という事なんです。 糸杉も死と、復活、という事で糸杉が描かれるという事はよくあります。 糸杉が風に揺れて天を目指してそびえたっているのを見て、自分の中に迫りくる死を予感、 糸杉のエネルギー 再生という意味合いを持った糸杉に対しての思いは強かったと思います。
ザクロを幼子のイエスが手に持っている絵もたくさんあります。 ザクロは赤い色から受難を表す、血のように赤いザクロという事です。
花も多くの意味合いを持って19世紀まで描かれてゆきます。 紀元前1600年の頃にエーゲ海文明では百合の花が壁画に描かれています。
ギリシャ人は論理的であり、ローマ人はより身の回りのものに目を向ける人で、庭園に花をたくさん植えて、庭園に水を引くことを得意として、ローマ市内に沢山水を引いていました。 沢山庭園を造って、宮殿の壁などに壁画として描いている庭園の図があります。
ポンペイの壁画にはたくさん花があり、ギンバイカ(銀梅花)は愛と結婚の象徴としての花で、花嫁がブーケとしてギンバイカの花束を持つというのは今でもイギリスで行われている風習です。 ギンバイカはヴィーナスの花の象徴で、ヴィーナスの女神の象徴がギンバイカ、オレンジ、バラ この三本で、画家サンドロ・ボッティチェッリの作品、「ヴィーナスの誕生」という名画の中にも、バラがいっぱい降り落ちているものが描かれています。 キリスト教の世界になるとより宗教的な側面もあります。
ルネサンスになって、文芸復興という事で、沢山の花が描かれてゆく時代になります。
最も重要なものが宗教画、歴史画で風景は一番下のほうにあったので単独で描かれるという事はとても少なくて、17世紀になって、花だけを描くという事にもなってきます。
宗教画、歴史画を描くという事は19世紀半ばまで続きました。
19世紀後半に印象派という大きな流れがあり、写実、移ろいゆくものに目を向けるという事で大きな変換点となって行きました。 神様のために描くものは永遠を求めるが、移ろいゆくものに愛を感じて、光の様子が変わって行くと色も変わり、影も変わり、絵自体がその時間の流れに合わせて刻々と姿を変えるという事に意味を見出して、モネ、ルノワールたち印象派がなした大きな仕事です。
移ろいゆくものに目を向けるというのは仏教からくる時間の観念だと思います。 19世紀末には百花繚乱という形で沢山花を描く画家が現れてきます。 日本人が印象派に惹かれるのは日本的心が引き寄せられるものだと思います。 絵には持っているもの、身に付けているもの、形、色にも意味があります。