今陽子(歌手) ・母の介護と私の大病を乗り越えて!
71歳、ライブやミュージカルで活躍しています。 1967年15歳で「甘ったれたいの」でデビュー、その翌年、ピンキーとキラーズを結成「恋の季節」が大ヒットして「ピンキラ」ブームを起こしました。 その後ソロシンガーに転向、結婚、離婚を経て28歳でアメリカ、ニューヨークに留学、歌と踊りなどを勉強して2年後日本に戻りました。 2017年いつも元気で何でもこなす母が90歳の誕生日を迎えた直後、突然認知症の症状が出て何も出来なくなってしまいました。 その母の介護が続き自分の身体にも不調がきて2019年67歳の時狭心症に襲われました。 幸いなことに手術は無事成功、手術から2日後には船の上でのライブも成功させました。 認知症の93歳の母はデーサービスに通い、母がやってくれていた家事は今さんがすベて自分でしていて、食事を作るのが大変な時はデリバリーを頼むなど無理なくをモットーにやっていると言います。 ライブやミュージカルで活躍中の今さんに伺いました。
「恋の季節」が大ヒット 大人向けだったんですが、子供から大人まで歌うようになりました。
*「恋の季節」 歌:ピンキーとキラーズ
今の方が声がよく出ていますね。 LPのアルバムも出て当時12万枚は大変な数字だと言われました。 シングルも270万枚。 女性1名と男性4名の編成のピンキーとキラーズは当時としては珍しかったです。 NHKの紅白でもどっちにするかで揉めましたが私がリードボーカルという事で赤になりました。 その後ドリカムとか男女混合は赤で歌うようになりました。 1972年にソロに転向(20歳)、22歳で結婚して翌日は23歳でした。 26歳で離婚しました。 いがみ合って別れたわけではなく、仕事と結婚生活は中々むずかしいです。 結婚がすべてだとは思っていなくて、常に素晴らしいパートナーがいてくれました。
28歳でアメリカ、ニューヨークに留学、人間として中途半端なところがあったので、もう少し大人になりたいという事で、ダンス、歌、英会話等の勉強をしました。 青春をアメリカで取り戻しました。 アメリカに行くと覚悟した時にはプロダクション、レコード会社などすべて関わっているものは契約を全部白紙にしていきました。 そこから人生が大きく変わったので行ってよかったと思います。
「認知症の母が劇的回復を遂げるまで」という本を出版。 90歳になった時に認知症になりました。 母は私設マネージャーと言った感じで全部やってくれていました。 突然に変わったのでこの5年は大変でした。 椅子に座ってただぼーっとしていて、最初は老人性鬱と診断されました。 オレオレ詐欺にもあって大分お金も取られてしまいました。 知り合いの医師に問い合わせたら軽い認知症かもしれないと言われました。 火は危ないのでオール電化にしなさいとかアドバイスしてもらいました。 色々なところに行ってケアマネージャーさんを見つけるまでが大変でした。 以前、父は透析を受けながら85歳で亡くなりました。 母の世話もしながら、母がやってくれていた自分のことを全部自分でやりながら芸能活動をやっていました。 くたくたになって3年前に狭心症になってしまいました。
胸が痛くてこのままだと死んでしまうのではないかと思って、自分で救急車を呼んで病院に行ったら、入院で即手術と言われました。 母のことは弟夫婦に任せました。 手術の承諾書などはマネージャーにやってもらいました。 バルーンカテーテル手術で心臓の枝の血管が狭くなっているので処置をして、あくる日には仕事に行きました。 飛鳥という船に乗りこんで、船の上でのライブも成功させました。 今度のミュージカルでも激しいダンスもあります。(4回目の再演) 母も96歳になりますが、本当に丈夫でそのDNAを継いでいるので、多分大丈夫という思いはあります。 55年も一つのことをこれだけ楽しんでやってこれたのは本当にありがたいことです。
ポップス、ジャズミュジシャンと楽しいライブを定期的にやって行きたいのと、ミュージカルは今後も若い人達ともやらせていただきたいと思っています。