馬野正基(能楽師シテ方) ・〔にっぽんの音〕
能楽自体は分業制になっています。 登場人物はシテ(主役)、ワキ(シテの相手役)、ツレ(シテ、ワキの助演者) 地謡(じうたい オペラでのバックコーラスに当たる)があるが、地謡とワキがかなりお能を作っている部分が多い。 後見は先輩とか師匠が後ろに座っている。(シテ方の役割) 四拍子は笛 (→能管 ) ,小鼓,大鼓,太鼓 これがお囃子方。 ワキ方は必ずワキばかりやります。(ワキ方に生まれたらワキ方ばっかりやる) 狂言方も一緒に能を作るので、間狂言(あいきょうげん)と言って幕と幕の間に、間語り(あいがたり)と言って曲のあらすじを説明したり、通行人みたいな形で出てきたりして、昔は一座を組んで動いていたことがほとんどでした。(役を分業していた。) シテ方、ワキ方、狂言方、囃子方の4つで能という演劇を形成していた。
馬野正基さんは1965年生まれ、京都上京区の出身。 父親は観世流シテ方馬野義男さん。2歳で「老松」で初舞台を踏み、7歳の時に「猩々(しょうじょう)」にて初シテ(主役)を務める。 初舞台では嫡子が生まれましたというような顔見世のようなものです。 芸歴では55年になりベテランの部類です。 80歳ぐらいで元気に舞台に立たれている方もいます。 最高齢は92歳です。 ちょっと見にはあまり動いていないようですが、実は結構体力、精神力を消耗します。 父は77歳で引退しましたが、あまりあがらってしまうと散り際が良くない。 美しく散りたいが散り際が難しい。
演目が次から次に変わって結構ハードです。 鉄は熱いうちに打てと言いますが、若いころ一生懸命稽古してよかったと思います。 父にも師匠にも厳しく育てられて感謝しています。 能の魅力はどこに自分の美学を置くか、視覚的な事か、聴覚的な事か、どちらでもいいが、あの世からもこの世からも交信?が出来る、天上界からも地獄界からも交信?がある、何百年も前に死んだ人も出てくれば、今生きている人間が今生きている人間として演じます、時空を越えられるその先に、一人で持てる、自分自身が持てるコスモがある、小宇宙がある、そういうものの中に自分を置いてみることもできる演芸、演劇です。 視覚的、聴覚的、物語性が揃っている舞台演劇だと思います。
趣味は釣りです。 能との共通性は集中力です。 普段は能のことをついつい考えてしまいますが、釣りの時には一切考えない。(offに成れる。) 能面の収集は子供のころから好きでした。 早笛という出囃子が好きで、早笛と強い鬼の能が好きで、その時の能面に物凄く興味を引かれ(小学校低学年のころ)ました。 高校生のころ奈良に行った時に古美術商で見た能面が絶対良いもの(江戸時代中期のもの)だと思って、有り金全部出して手付金として渡して、明日絶対持ってくると言って購入しました。 (半額以下程度で購入) 今でもその能面は使っています。 おじいさんの顔をした能面を尉面(じょうめん)と言います。 ちょっと微笑んでいる面、もともとは在原業平が歳を取った顔だと言われる。 笑尉(わらいじょう)は平家の落ち武者が主役になる、修羅物には笑尉とか朝倉尉を使います。 その化身として、職業人として歳老いた男の時には大抵尉面を使います。 集めた数は古いものだけでも60面あります。 新面を入れると100は越えています。 全曲をフルカバーできます。 増阿弥(ぞうあみ)が制作した能面で女神様、ちょっと物憂げで「泣増(なきぞう)」と言います。 「定家(ていか)」、「野宮(ののみや)」などいろんなものに使います。
能装束はシテのセンスだったり師匠のセンスだったりします。 面(おもて)というのは物凄く表情が出ます。 一寸上向き、下向きで笑って見えたり泣いて見えたり、繊細な角度の違いで変って見え、見る上での楽しみにもなります。 面(おもて)に角度をつけるために面当てを入れています。 mm単位です。 能楽は文語調なので古文の世界なので平安時代の宮中の言葉だったり、和歌の世界も沢山入っている。 能は平たく言えばヒューマンドラマなんです。
大蔵:狂言も御家によって凄く違います。 「五家狂言会」などやっています。 お互いの芸を認め合うとか、勉強会をやっています。
12月25日に第8回「花乃公案」を行います。 『安宅』(あたか) 義経主従が奥州に落ちる途中、安宅の関で関守富樫某(富樫泰家とされる)にとめられ、弁慶が偽りの勧進帳を読んでその場を逃れた逸話を描く。 弁慶がシテで主役をやります。 義経がワキ方です。
日本の音とは「謡(うたい)」です。 他の芸能にも影響を及ぼしています。 原稿曲が210数曲あってまだやりたい曲がわんさかあります。 老女物、「卒塔婆小町」、「姨捨」「檜垣(ひがき)」など歳を取った小野小町役、散り際の小野小町をやりたいです。 これは歳を取らないとなかなかできない。