2022年11月20日日曜日

阿古真理(生活史研究家・作家)     ・〔美味しい仕事人〕 「きょうの料理」の65年

 阿古真理(生活史研究家・作家)     ・〔美味しい仕事人〕 「きょうの料理」の65年

NHKテレビで1957年(昭和32年)11月に放送が始まった「今日の料理」は今年65年を迎えました。   敗戦復興からの目覚ましい時代に番組はスタートしましたが、実際の暮らしでは4人に一人が栄養不足の時代でした。  そんな中で日々の栄養の大切さを伝えながら、一方では本格的な西洋料理や中国料理を紹介するなど家庭の食卓に夢を提供しました。  生活史研究家で作家の阿古真理さん(54歳)は家庭料理の歴史や料理研究家などをテーマに現代の食を家庭料理の視点から深く掘り下げる取り組みをしています。  「きょうの料理」の65年を振り返りながら、家庭料理のこれからを考えます。

昭和32年は敗戦から12年で神武景気という時代で、食に対しても考え方が変わって来た時代でもあります。  米のご飯が食べられるようになって食材もそこそこある落ち着いた頃だと思います。   豊かさを取り戻しつつあるが、4人に一人が栄養不足の時代でした。     高度成長時代は栄養不足を減らしてゆくことが、何よりの課題でした。 

「今日の料理」の放送開始当日の11月4日は、料理は一つも紹介がありませんでした。  食事には栄養のバランスが大事だという話でした。 近藤とし子さんは栄養食運動を推進された方で、野菜、動物性たんぱく質、炭水化物のバランスを考えようという旗振り役の方です。   食材が選べるような状態になって献立を組み合わせるという事を考えないといけない時代になって来るのが、戦前の大正、昭和の時代でした。   11月5日が最初に紹介された料理榊敏子?さんの牡蠣のカレーライスです。  フランス料理のような作り方でした。  「今日の料理」の初期に見る人はお金持ちが多かったというのが前提にあると思います。   東京オリンピック以降に普通になって行く。  中国料理も本格的な料理でした。   王馬 熙純(おおまきじゅん)さんの蝦仁豆腐(シャーレンドウフ)などありました。  餃子も彼女が紹介しています。    身近な中華料理の土台を作った方でもあります。 昭和30年代は本格的なものを紹介しようという機運が強くて、西洋料理も中華料理も本物を紹介しよう、新しい食文化を伝えようという意気込みがありました。  

飯田深幸さん 一口カナッペ(オードブル的な料理)の紹介。  パーティー用のオードブルです。   一流のシェフを発掘していったのも「きょうの料理」ではないかと思います。   田中徳三郎さんも「きょうの料理」の創成期を支えたフランス料理人です。   高度経済成長期を代表するグラタンに憧れて頑張ってオーブンを買ったという方が結構たくさん居ました。  ホワイトソースも憧れがあり同様に紹介されていました。   土居勝さんの「変わったエビのフライ」 コロモに工夫があるんだと思います。  

1967年 「特集 お正月料理」  正月料理のスタンダードなメニューを 「きょうの料理」でも紹介しています。   凄く人気があり、テキストも売り切れる。  伝統料理、日本料理に対する郷愁みたいなものがあったようです。    どこの家庭にもテレビがある時代。  一般家庭にも 「きょうの料理」みて作るというような習慣が広まった時期だと思います。   夫と妻の出身地が違うとお雑煮も全く違うという様なことがありました。味噌汁なども同様である程度テレビで標準化されたというようなこともありました。    1970年代後半から80年代、女性の社会進出が始まる。   共働き世帯が増えてゆく。  1975年 「特集 忙しい時のために」  5日間のテーマが15分で作るおかずとか保存が利くおかず 、缶詰、インスタント食品を使ってと言うようなものが紹介されました。  1973年のオイルショックでまっさきに首を切られたのが女性社員でした。  

低成長時代に入って晩婚化、子供も少子化が進んでゆく。  1995年「20分で晩御飯」が 「きょうの料理」でスタートする。  小林カツ代さんが企画したと言われる。    料理研究家が日本の食卓を変えてゆく原動力にもなったと思います。  江上トミさんは笑顔が絶えない人ですが、戦前は夫に帯同してフランスに住んで、プロの料理学校に入りました。  帰国して料理研究家になるきっかけになりました。  料理研究家として大活躍しました。  飯田深幸さん、入江麻木さん、城戸崎愛さんもフランスの料理学校で学びました。   

「小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代」という著書がありますが、対比するとベクトルが違っていて、小林カツ代さんは独自の発想で、こうやったら簡単にできるという事を沢山提案して、時代の寵児になりました。  栗原はるみさんは夫が売れっ子のテレビキャスターだった、後に大好きな料理に気が付いて、料理教室に通うようになった。   主婦としてテレビ関係者を接待するうちにデビューすることになる。   

私は元々食いしん坊でした。   料理することも好きで、食文化に関する本は読んできました。   我が家の食卓から時代を見てゆけば、それは普遍に通じるのではないかと思って、祖母、母含め三世代の時代背景を調べながら書いたら、その本が評価されずぶっと食の世界に入ってしまいました。   『うちのご飯の60年 祖母・母・娘の食卓』2009年出版環境(台所、冷蔵庫など含め)、ライフスタイル、食の体験も変わって来て、 大きく変わり続けた60年だったと思います。   男性料理教室もできたりして段々変わって来ました。   レシピもいろいろな媒体で発信されるようになり、家族の誰もが料理できるというようなことが理想で会話も世界も広がってゆくと思います。