今野さんは宮城県仙台市出身の39歳、高校卒業後コンサドーレ札幌に入団し、その後FC東京やガンバ大阪、日本代表などで活躍し、現在は南葛SCに所属しています。 今野選手のJリーグ入りのきっかけとなったのが、元日本代表監督岡田武史さんとの出会いでした。 コンサドーレ札幌時代や日本代表時代に師事し、今野さんのサッカー人生に大きな影響を与えた岡田武史さんについて伺いました。
小学校1年時からサッカーを始めました。 僕がプロサッカー選手になって初めての監督で、お父さんみたいな感じでした。 プロとして生きてゆくことのすべてを教えてもらったような監督です。
岡田武史さんは1956年大阪で生まれます。 大学卒業後、古河電工(現・ジェフユナイテッド千葉)に入団し、サッカー日本代表にも選出されました。 現役を引退した後、指導者の道を選んだ岡田武史さんは、1997年に日本代表監督となり史上初のワールドカップ本戦の出場を果たします。 Jリーグコンサドーレ札幌の監督、横浜Fマリノスの監督を経て、2007年から日本代表監督を務め2010年の南アフリカ大会でチームをベスト16に導きました。 2014年四国リーグ・FC今治のオーナーに就任、2019年には日本サッカー殿堂入りを果たしています。
僕が高校生の時にコンサドーレ札幌の練習に参加したのが、岡田監督との出会いの最初です。オーラはあるし練習中は怖い顔をしているので近寄りがたかったです。 4日間の練習の終わったあとに欲しいと言われて舞い上がりました。 その時には地元の宮城県のソニー仙台というところへ行くことが決まっていました。 私は絶対行きたいと思いましたが母は反対しましたが、父は自分の好きな様にしろと言ってくれました。
岡田監督はオン、オフを大事にしてオフの時にはフランクに話をしてくれました。 選手と一緒に食事をしたり酒を飲んだりという事はしませんでした。 サッカー選手を長く続けていくためには犠牲が必要だという事は教えられました。 空いた時間を飲みに行ったりするのではなくサッカーに繋がること、人間力を高めることに使えと言う事は言われました。 ミーティングとか個人的にも話してくれます。
2001年に岡田監督はコンサドーレ札幌を離れましたが、学ぶ事はまだたくさんあったのでショックでした。 1年間でしたが、自分の特徴を見つけて伸ばしてくれたという事はあります。 「相手からボールを奪うことにたけているから、それを伸ばしていけ」と言われました。 入って1年目で骨折をしてしまい、落ち込んでいましたが、家まで来てくれて励まされ前向きになれました。
2004年にFC東京に移籍しました。 岡田監督は横浜Fマリノスの監督をしていて、横浜Fマリノスに来ないかともいわれていました。 当時は横浜Fマリノスは出来上がった強豪のチームで、FC東京はまだ若いチームで、その二択に凄く迷いましたが、FC東京に移籍を決断しました。 申し訳ない思いはありました。
岡田監督から日本代表に選ばれて、認めてもらえてうれしかったです。 2010年に開催されたワールドカップ・南アフリカ大会後の記者会見で、終了間際に「今野が何かやりたいことがある」と指名しました。(その時は可成りシーンとした雰囲気でした。) まさか振られるとは思いませんでした。 マルクス・トゥーリオ選手がCMでやっていた物真似をしました。 「集まれー」 場が和みました。
日本代表監督は凄くプレッシャーがあると思います。 一旦は断りに行ったが、最終的に引き受ける事になった様でした。 しっかり成績を残したし、終わったあとは辞めるだろうなと思いました。 「勝負の神様は最後に宿る」 ダッシュとか練習でも80%ぐらいでやるのではなく練習でも100%やるという事を教わりました。 全部が本番に生きてくる。 岡田監督は本も沢山読んでいて、「人間力を高めながらでないと一流の選手にはなれないぞ」という事はずーと言っていました。 本を読んだり映画を観たりしてサッカーに繋がるように、成長できるようにという事で興味を持つようになりました。
岡田監督への手紙
「高校生の無名僕を4日間の演習でJリーグの世界に引っ張ってくれた岡田監督、・・・レベルの高い練習に心が折れそうになった時に、声を掛けて下さいました。 ・・・お前はボールを奪いに行くアプローチが早いからそれを伸ばしてゆけと教えてくださいました。・・・この言葉は僕にとってJリーグで生き残るための道を示してくれた大切な言葉でした。・・・サッカーにとっていいことは何でも取り入れようとさらに努力が出来ました。・・・ 再び日本代表の監督になられた時も選手として選出してくださり、何よりも僕のことを認めてくれて評価してくれたことが凄く嬉しかったです。・・・「勝負の神様は最後に宿る」という言葉は僕に人生で凄く大事にしている言葉です。・・・感謝という一言では足りないぐらいです。 僕の夢を現実にしてくださってありがとうございました。」