2022年11月22日火曜日

山本學(俳優)             ・〔出会いの宝箱〕

山本學(俳優)             ・〔出会いの宝箱〕 

昭和12年(1937年)生まれ、85歳。   昭和33年にテレビデビューしました。  以来、テレビ、映画、舞台で存在感のある役を演じ続けています。  

NHKの「大奥」という番組に出演する準備段階で、お坊さんの役です。  綱吉が犬公方と言われるきっかけに絡んでいたようです。  以前高橋是清の役をやった時にはメイクに5時間かかったこともありました。   

父親は建築家の山本勝巳で青春時代は松山で過ごしました。 父親の兄弟は5人で女が2人で男が3人で、農学博士と父が設計屋で3番目が映画監督でした。  松山中学は色々な文芸活動が盛んでした。   演劇文芸の「楽天」という回覧雑誌があって、中村草田郎、伊丹万作、伊藤大輔、父などのグループがあったらしいです。  伊丹万作の息子が伊丹十三さんです。  叔父は山本薩夫と言いますが、そのグループの影響を受けて後に映画監督になりました。   私の兄弟も3人とも役者になっていますし、妹も役者をやっていました。    岸田劉生(麗子立像が有名)に憧れて、伊丹万作さんは油絵をやっていました。  父も絵をやりたかったようです。  それで東京に出て来ました。  僕も子供のころ絵を描かされていました。   一時期墨絵をやりましたが辞めました。  父の兄は東京帝大を出て農学博士となり米の研究をしていました。   長岡の農事試験場がありましたが、そこの場長をやっていました。  父が死ぬ間際に描いた絵がありましたが、どこにあるのか判らないですが、観た時には感心しました。  その絵を供えてお葬式をしたことは覚えていましが、その後何処へ行ったのか判らない。  その絵はレンブラントのような雰囲気を感じました。 

中村草田郎さんとは親子二代での付き合いがありました。   中村草田郎さんは成蹊高校の国文の先生をやっていて、高校2,3年で先生の授業を受けました。(父とのつながりは知りませんでした。)   父の友人たちがうちに来てよくお酒を飲んでいて、僕はお燗番をしていました。(小、中学校時代)  そこに中村草田郎さんも見えていたようです。 中村草田郎先生は凄く低姿勢な先生でした。  僕は授業中はほかの本をよく読んでいました。  「降る雪や明治は遠くなりにけり」という俳句は中村草田郎さんの俳句です。  先生が東大のころ雪が降る青山の小学校に行っていて、昔を思いだして、30歳ごろ作ったようです。  中村草田郎さんが「妻抱かな春昼の砂利踏みて帰る」という句を詠んでいるという事に吃驚しました。 ( 鼻息荒く、砂利を踏み鳴らして、妻を目ざして帰っている。 他にも妻に対する句がいくつもあるようです。  

伊丹万作さんの息子が伊丹十三さんで、俳優として共演をしたことがあります。  昭和40年に毎日放送「源氏物語」、NGが90回以上でた女優さんもあった様でした。  2日間で寝るのが4,5時間で撮った作品です。  光源氏が伊丹さんで、僕は頭中将という彼の友達の役です。  市川崑さんがこのテレビドラマの監督をしていました。  その後伊丹十三さんは「天皇の世紀」でディレクターをやって、僕は勝海舟の役をやって凄く長いセリフをやらされたことがありました。   彼が映画をやるようになってからは、僕も芝居で忙しくて付き合いがなくなってしまいました。  彼の息子も俳優で話しかけたことがありましたが、父親のことは話に乗らなかったですが、親子三代かかわったわけです。     

たまたま代々木の飯屋で隣の人が岸田劉生の孫だと言うので、吃驚して不思議な縁を感じました。  

宮沢賢治は読む詩人かなあと思う程、読むことの難しい詩が多いです。  農民の生活に深く関わっていたし、米作りには雨と風と太陽がすべて、カタカナで書かれていて、一言一言をポキポキきっちり読むのかなあと思って読みました。

朗読:山本學

「雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ※(「「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78)
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ                                   ワタシハナリタイ」