明和政子(京都大学大学院教授) ・コロナ禍の今、子どもの心の発達を考える
京都大学霊長類研究所研でチンパンジーの心を研究、比較認知発達科学と言う分野を開拓し、人とほかの霊長類を胎児の時期から比較することで、人らしい心が何時どのように生まれてくるのかについて研究しています。 新型コロナウイルスの感染拡大でマスクの着用と密閉密集密接の3蜜を避けることが推奨されて2年余りが経ちました。 こうしたことが子供の脳や心の発達にどのような影響を及ぼすのか、ポイントは環境の影響を特に受けやすい時期、感受性期にあるという事です。 これをきっかけに今の子供たちを取り巻く環境についても考えます。
人間の存在を生物の一種としてとらえた時に、人間と言う生物だけが持っている脳や心は一体どんなものなのか、という事です。 マスクをしていても目でコミュニケーションできると思いがちですが、大人の脳と子供の脳では全く違うものである、子供の脳は大人の脳のミニチュア版ではないという事です。
人の脳の発達には環境の影響を受けて、変容しやすい或る特別な時期が何件かあります。 そのもっとも重要な時期の一つが乳幼児期です。 大脳皮質による視覚野、聴覚野の場所は生後数か月から7,8歳ぐらいまでに影響を受けると言われています。 マスクをしている状態と言うのは凄く危機を感じています。 赤ちゃんは誰かとコミュニケーションしながら大きくなっていきます。 目の前にいる人の表情を見ながら、自分でも真似することによって相手の言葉に段々気づいてゆくわけです。 ニコッと笑うと赤ちゃんも笑う。 その時に赤ちゃんに沸き立つ感情、これを笑っている人に当てはめるから心が理解できるんです。 マスクをしているとこういったことが経験できなくなる。
言葉も全く同じです。 「パパ」「ママ」と赤ちゃんに語りかけると、赤ちゃんは生後半年ぐらいから目よりも口元をよく見るようになるんです。 口の動く状況は目から視覚情報、聴覚情報から自分でも「パパ」とかやってみることによって、言葉を一つ一つ獲得してゆきます。 マスクによって学びの場が失われている事が過言ではないと思います。
前頭前野は人だけが獲得してきた脳の場所です。 チンパンジーも人とは全く違います。前頭前野がグーっと発達してくるのが生後4年目ぐらいからです。 前頭前野は自分が持っている心と相手が持っている心は別のもの、という事を次第に理解して、相手がどんなことを考えているか、相手の視点に立ってイメージすることができる。 いろんな人の豊かな表情を見ることによって、その人が今何を考えているのか、経験してゆくことが必要です。 マスクの問題を実験的に確かめることは難しい。
保育園、幼稚園の先生が、子供たちの表情が乏しくなってきた、言葉の獲得がゆっくりになった、にっこり笑ってもマスクをしているので子供の反応が弱い、そうなると心のやり取りがなかなか難しくなっている、という様な声もよく聞きます。 子供同士でもマスクをしているとわかりづらい。 透明なマスクで表情を見せてあげる、のも代替案になるのかなと思います。 身振りを大げさにすることによって心の思いを伝える工夫もしています。 家庭ではマスク無しだと思うのでより豊かな表情を多く見せるとか、コミュニケーションをより多く取る工夫をしていただきたいです。 テレビからは視覚情報、聴覚情報だけに限られていて、身体接触がないわけです。 身体接触は子供の身体、脳の中に心地いい感覚を沸き立たせる重要な経験になるわけです。 抱っこしながら声をかけながら一緒にテレビを見ることは有効だと思います。 共有することが大事だと思います。 絵本の読み聞かせも重要だと思います。
身体接触が制限されている今は、何かしらの問題が子供だけではなく大人にも起こる可能性が高いと思っています。 他の個体と接触するとオキシトシンと呼ばれる内分泌ホルモンが身体の中に沸き立つような仕組みを持っているんです。 ラブホルモンと言って気持ち良い感覚を沸き立たせるホルモンなんです。 赤ちゃんを抱っこすると赤ちゃんだけではなく抱っこする側にもオキシトシンが出来る。 これが身体接触の重要な点です。
非接触のコミュニケーションが日常化しました。 相手の痛みを感じるのは、身体接触があるからで、他人の痛みは自分の痛みだと共感して判るわけです。 あまり身体接触のなかった子供が共感、脳と身体の働きと言うものを私たちと同様に発達させてゆくことができるかどうか、それは未知数です。 オンラインによるコミュニケーションは便利なものが一杯ありますが、これは脳が完成した大人にとって便利だという事だけです。 人の脳は成長までに25年かかるので、今の環境が問題として現れてくる可能性もあります。
最近気になっているのが子育て中の親御さんの脳と心の問題です。 母親が一気に子育てを担っているという時代が来ています。 コロナ禍によって他者とのコミュニケーションが閉ざされてしまって、孤立育児がどんどん進んでいます。 若い母親は脳が未熟な存在なんです。 独りで子供を育てるという事は非常に難しい事です。 人は共同養育の中で進化した生物である、と言う考え方です。 産むのは女性ですが、育てる段階に成ったら、母親を取り巻く社会、集団のメンバーがともに関わる、これが共同養育です。
人とチンパンジーは遺伝子の塩基配列が98%同じなんです。 子育ては両者はずいぶん違います。 チンパンジーは母親が独りで産み、独りで育てる生物で、それが出来るんです。 チンパンジーは7年に一回子供を産みます。 7年経つと子供は自立して母親の元を去ってゆきます。 排卵が起こって次の準備が整うわけです。 人は出産をして授乳していても2年経つと排卵は起こるんです。 短期間で産める身体を持っているわけで、これは凄く矛盾します。(子供の自立には時間がかかる) 母親だけで多数の子供を産んで育てることは不可能なんです。 昔は大家族で近所も関わっていて、共同養育は有ったんです。 ここ数十年で核家族化が進み母親が独りで子育てを行うようになり、現代の子育て問題の深刻さが深くかかわっている。
現代版の共同養育社会の仕組みを新たに作ってゆく必要があります。 男性の子育て参画が是非必要だと思います。 子供を産めば母性みたいなものが自動的に沸き立って、子供を育てるのに必要な能力が沸き立ってくるわけではない、と言うのが最近の研究でわかって来ています。 親性、性差に関わりなく親に必要な脳と心が子育てと言う経験によってゆっくりと育まれて行く、という事が判って来ました。 MRIで父親たちの脳が子育てにどのように反応してゆくのか、長期的に調べました。 個人差大きいという事が一点目です。 パートナーの妊娠時点から親として必要な脳の働きが見事に現れる人もいれば、子供が生まれても脳の働きが活性化しない人もいます。 活性化が現る父親は2年前ぐらいまでに他人のお子さんに触れあったり、一緒に遊んだ経験のある方が親性の発達がいいという事が判ってきています。 ですから経験なんです。 人間とは何かという視点の中で、便利な世の中が誰のために、何にために必要なのか、という事を考える、科学者だけではなくて一般の人たちとの中で議論していかなければならないものだと思います。