2022年7月16日土曜日

宮本祖豊(比叡山観明院住職)      ・自分を見つめる

宮本祖豊(比叡山十二年籠山行満行者・比叡山観明院住職)・自分を見つめる

滋賀と京都にまたがる比叡山に天台宗の総本山延暦寺があります。  宮本さんはその延暦寺に開祖である最澄の時代から1200年間伝わる厳しい修業十二年籠山行の戦後6人目の満行者です。   比叡山の荒行と言いますと千日回峰行がよく知られています。  山中を一日およそ30km歩きそれを千日間7年かけて行う事から動の荒行と言われています。   一方宮本さんが成し遂げた十二年籠山行は静の荒行と言われます。   最澄の廟がある浄土院と言うお堂に十二年間1歩も外に出ず、たった一人で最澄の魂に仕え途中で辞めることも許されません。   宮本さんは北海道出身の62歳、1997年37歳の時にこの行に入りました。  それから12年およそ4500日の間勤め抜き、満行者となった時49歳になっていました。  長く孤独な修行の中向き合ってきたのは、自分自身の心だと言います。  宮本さんに修業に奉げたその半生と心を見つめる事の大切さについて聞きました。

今も毎日比叡山にお勤めに行きます。  子供のころから物理学に興味を持っていました。  高校卒業した時に大学受験でつまずきます。  それがきっかけで宗教の道に入りました。  自分自身を振り返った時に、東大に入れるような頭もないし、決して豊かな家庭ではなかった。   自分は徳の少ない人間だと思いました。    自分の人生はこれでいいのか、自分とは何なのか、生まれてきたのは何なのか、と言う思いがありました。    徳を積む人生、それに時間を費やしたいと思った時に、ひらめいたのが宗教でした。   北海道では神社仏閣よりもキリスト教会の方が多い。   洗礼を受けているわけでもないし、もっと入りやすい仏教を考えました。   仏教の本を読んでどんどん惹かれていきました。 

最澄が19歳の時比叡山で修業した時に書いた「願文」と言うものがあり、読んだ時に感銘しました。   「この世界は苦しみばかりで安らぐことなく、思い悩むばかり。  生まれてもその身体は儚くそして移ろいやすい。」 こうした無常観を詠う文章から始まります。1200年前にこんな人が居たんだと、それに1歩でも半歩でも近づきたいと思いました。  最澄が行なったように自分も十二年籠山行をやって自分を見つめてみたいと思いました。 仏教に入ることに対して両親は反対していたので、書置きをして出ていきました。  延暦寺へ何とか入れてい貰いましたが、或るきっかけで追い出されました。   お坊さんになりたいという思いが強すぎて、まだそういう段階ではないという事だったようです。   1か月ほどして再度お願いして許されました。  

34歳で住職の資格を得ました。   十二年籠山行に入る前に通らなければいけない修業がありました。  好相行です。  身も心も清らかにするためのお経です。  3000もの仏様を一仏一仏唱えながら、一日3000回五体投地で礼拝します。 五体投地は直立した状態で合唱を行い両膝両肘額を地面につけ、再び立ち上がって合唱するという礼拝方法のことです。  これを不眠不休で仏の姿が見えるまで行うと言います。  好相行に入った僧侶には3か月ほどで仏の姿が現れ満行すると言われてきましたが。私は3年を要することになりました。   

最初は元気ですが1週間ぐらいすると段々幻覚を見るようになります。   トイレ、水を被って沐浴、食事以外はお堂にこもって寝ないで五体投地で礼拝します。  4か月経っても現れてこないで、9か月でも現れてこなくて、やせ細ってきて、一旦中断して体力の回復を待つことにしました。(その間一日1000回ぐらいは行います。)   体力が戻って再度一からやり直しです。   9か月経った頃に真冬に2回目のドクターストップがありました。  又3度目を再開しました。  1か月程度過ぎた頃に目の前に仏様が現れました。   直感的に阿弥陀様だと感じました。  これを経験した先輩たちに報告しますと、これは本物であると認定されると満行者になります。

人間遠くを見過ぎたり、考えすぎたりすると自分自身が落ち込んでしまったりします。  今日一日だけ、あるいは一瞬だけ5分30分とかを全身でもって受け入れる、こういう風に思うと人間は何とかなるものですね。   24時間寝ないでしかも体を動かす、こういったことをすることで必然的に思考が止まって来る、我のない、無我の状態になります。  そういった状態の時に目の前に仏さまが現れることがあります。  仏様が見えるという事が目的ではなく、自分の心を清めてゆく、清まった印として見えるという事で心を清めてゆくという事の方が大切です。  

好相行を経て初めて取り組む事が出来る十二年籠山行、比叡山の山中にひっそりとたたずむ浄土院というお堂の中で行われます。  独り12年の間過ごす事になります。  39歳の時に十二年籠山行に入りました。   朝3時半に起きて、4時から1時間のお勤め、最澄様に朝ご飯を差し上げ、6時半から阿弥陀如来様の供養、日本国家の安泰、世界平和の祈願、10時に昼食を最澄様に差し上げる、境内、建物内の掃除、4時からお勤め、5時に門を閉めめ、仏教の勉強、座禅、写経をして9~10時に寝ます。   同じことを365日12年間続けます。   淡々と時間を感じない世界で生きている。    一番問題なのは体力が落ちてゆく、病気になったからといって降りて行って治療してもらうわけにもいかない。   自分の心を知ることがまさに修行であって、ただ食事を作る、掃除をするというのでは作業であって、そういった事では一歩も前に進まない。  自分自身と言う感覚がなくなれば、自然と一体となり孤独ではなかった。   他人のために他人のことを考えて何かをする、自分を捨てるためのいい手段と言う風には思います。(利他の心)  「一隅を照らす」と言う言葉がりますが、自分がやる事で周りをちょっと照す、そうするとどんどん周りが明るくなってゆく。  基本は一人一人です。  自分自身を見つめることで、自分の中の光を感じて、それでもって自分を照らせば当然周りの人も照らしてゆく、周りの人も自分自身を照らしてゆけば全部周りが明るくなる。   一日一回、目の前に5分でも10分でもいいから自分自身を振り返る時間を持っていただきたい。  そうすることで自分自身の新しい発見、気付きがあって、変わっていきます。