2022年7月23日土曜日

高階秀爾(美術評論家)         ・【私の人生手帖(てちょう)】

 高階秀爾(美術評論家)         ・【私の人生手帖(てちょう)】

1932年生まれ、西洋美術史の大一人者で研究や評論に大きな功績を残していました。   東大教授や国立西洋美術館館長などを歴任し、2012年には文化勲章を受章、20年の秋からは日本芸術院院長、岡山県倉敷市の大原美術館の館長は20年に渡って勤めています。   絵は観ると同時に読みとくものと言う持論と共に、高階秀爾さんが美術の道に進んだきっかけや、評論の奥深さなど、これまであまり語ってこなかった自身の人生について伺います。

日本芸術院院長、岡山県倉敷市の大原美術館の館長の仕事や、展覧会を回ったり、夜は執筆活動もしています。  「走るな、転ぶな、風邪ひくな」ということを考えて、健康の秘訣にしています。  国立西洋美術館がリニューアルして2年半ぶりです。  松方コレクションと言って、松方さんが集めたフランスの美術、戦争中フランスに接収されてしまったが、それが帰ってきて美術館を作ろうという事で美術館が出来て、その時に私もフランスにいたけれども、呼びもどされて就職しました。  受付、切符売り、お客さんの整理などいろいろやりました。    ミロのビーナスが来た時には上野の山は長蛇の列で、その整理や、夜はミロのビーナスを交代で宿直して寝ずの番をしました。   

西洋の美術は本当に身近になりました。   複製も立派になりましたが、やっぱり実物が持っている力、魅力はやっぱり本物見ないとわからない。  絵を一か所に集めて並べて本物を見る力、これは大きいなあと思います。   日本人は昔から美術作品を観るという事は好きなんですね。  奉納絵がありましたが、絵の魅力を教えると同時に文化、心の世界を伝える、美術館の仕事はそういう仕事が非常に大きいなと思います。  絵を読み解くのが大事だと思います。  

終戦が中学2年でした。 父は高等師範の哲学の先生をしていました。 家には哲学、文学関係の本がいっぱいありました。  父からは素読という事をやらされました。  説明はなかったが段々そのうちに理解していきました。  子供にも日本古典を暗記させました。 東大にいる時には絵を読む方法、絵を読み解く方法をいろいろ教えているので、美術を観る目と言うのは、同時に読み解く目で、それは私の活動の基礎で、今でもそうだと思います。

秋田に母、姉、妹と共に疎開しました。  角館中学に通いましたが、稲作の手伝いなどをしていました。  2年間秋田にいて、東京に戻ってきたら、父が公職追放という事になり、出版関係のアルバイトなどしました。  私もアルバイトをして大学に行きました。  名画座で映画をよく観に行きました。  フランスに憧れて留学試験を受けました。    パリに行って勉強に合間に映画観、ルーブル美術館などに行ったら、絵が凄いと思いました。   歴史、物語、人々の祈り、技術、が入っていて、調べれば調べる程ということで美術の研究をしました。   2年間いました。  その後は自分でアルバイトをしながら残りました。    文学の物語ともかかわりあって、ダンテの神曲とか、絵と結びついて来るわけです。  心の世界を広げてくれる。   シェイクスピア全集を読んだり、バルザックなど読んでいました。  

絵の理解は一目見てわかる部分と、後で考えてわかるものなどいっぱいあると思います。  繰り返し見ながら、それを自分がどう受け止めるか、という事だと思います。   5年間パリにいました。     自分自身にとって身体と精神の育った時代だったと思います。 美術史と評論を重ね合わせなければいけないという事を感じました。   美術作品と言うものは例えば歴史の上での生き証人みたいなものだと思います。  絵はものを言わないがそれにものを言わせるのが歴史家なんです。 評論家は美術作品が持っているものが、どういう意味を持っているか、今の我々にどう訴えるか、それを考えるのが評論の仕事だと思います。   美術史と評論を重ね合わせる必要があると思いました。    大事にしていることは自分の感覚に嘘をつかない、しかしそれが唯一とは思わない。   謙虚でありながらしかし自分を崩さない。  美術評論も時間をかけた嘘を付かない職人仕事だという風に言えるとも思います。   職人の道具に当たるものは言葉で言葉が大事です。   

「ピカソは剽窃の作家、美術だ。」  ピカソ:剽窃の論理』と言う本にしました。

剽窃:他人の著作から,部分的に文章,語句,筋,思想などを盗み,自作の中に自分のものとして用いること。 他人の作品をそっくりそのまま自分のものと偽る盗用とは異なる。)

ピカソは自分の世界を広げるために使ったんです。  それを私は剽窃と言う言葉を使って、ピカソの世界を知るためには必要なことだと思いました。   

戦後松方コレクションのない時代にピカソ、マチス、ブラックなどの展覧会を日本でやった時には東京、京都、福岡の博物館を借りてやりました。  大原美術館でもやりました。 大原美術館も92年になります。   若い人への援助などもやっています。