山本學(俳優) ・【出会いの宝箱】
今日は共演した女優の中から望月優子さん、沢村貞子さん、杉村春子さん、山田五十鈴さんとのエピソードをお話いただきます。
弟の山本圭が急に亡くなってしまってしまいました。 転んでコロナ禍で病院が見つからなくて埼玉の病院に入院しました。 肺炎になったという事で朝7時に亡くなりましたという連絡が入りました。 会えないままに亡くなりました。(81歳) 共演は少なかったです。
プロデューサーの石井ふく子さんの指示でいろんな女優さんと付き合わせていただきました。 20代は親子役が多かったです。 望月優子さん、沢村貞子さん、堀越節子さんとかお母さん役者とテレビとかで出ました。 当時は生でして、セリフを間違ったりしていても進まざる得なかった。 当時は舞台、映画に比べてテレビに出る俳優は格下でしたが、望月優子さんからはテレビが時代を引っ張ってゆく時代が来るから、テレビを馬鹿にしては駄目、とよく言われました。 沢村貞子さんが或る時に一人で稽古をしていて、こんな人でもここまで稽古をするのかと思うと、自分ではまだまだ足りないなと思いました。 昔の人は色々と教えてくれましたが、今そうやると、生意気だとか、余計なことを言うなとか、言われて仕舞い、いい時代に役者の仕事が出来たと思います。
最初の映画「裸の町」(1957年)は余り印象がなく通行人みたいな役で出たと思います。杉村春子さんが出演していました。 舞台での「女の一生」は観て印象に残っています。 何べんも観ています。 『華岡青洲の妻』ほか数えきれないほどあります。 三大女優と言われて山田さん、杉村さん、森さんのなかでは、最初に山田さん、次に杉村さん、結局森さんとが一番多かったです。 「菊枕」という山田さんとの夫婦役ではしがない男が偉大な女房をもってそれを支えてゆく、だらしない男だけど支えてゆく生き方があるんだなと、それが出ればいいんじゃないかなと思いました。 役者が一番大事なのは存在感、人間そのものがここにいるんだよと言う存在感を、山田さんが教えてくれました。 技とかそういうものではなくて、何十年と言うものがその人に積もっているというか。
杉村春子さんは芸という事にこだわっていることが強いと思います。 ある場面で杉村さんがセリフを言わなければいけない場面で僕に言わないんです。 こちらが何か言ってもしゃべらない、その後しゃべって行きましたが、一瞬セリフを忘れていたのかもしれないが、普通の役者がそういったことをやれば間が出来てしまいがやがやするが、ちゃんと芝居がなりたっているんですね、そういうところが面白いですね。 これも存在感と言うものだと思います。
島崎藤村の「初恋」 初恋の相手は7,8歳のころに近所のお嬢さんに抱いた恋心を思いだしながら、歳を取ってから書いているもの。
*島崎藤村の「初恋」 朗読:山本學 リズムが出来上がっている。 60,70代の人が聞いた時に納得できる歌なのかなと思います。
まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれない)の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな
林檎畑の樹(こ)の下に
おのづからなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ
応接間に「小諸成る古城のほとり」と言う拓本が飾ってありました。
*島崎藤村の「小諸成る古城のほとり」 朗読:山本學
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る
あたゝかき光はあれど
野に満つる香(かおり)も知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色わずかに青し
旅人の群はいくつか
畠中の道を急ぎぬ
暮行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛(歌哀し)
千曲川いざよう波の
岸近き宿にのぼりつ
濁(にご)り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む
*「千曲川スケッチ」 朗読:山本學
光岳寺の暮鐘が響き渡った。 浅間も次第に暮れ、紫色に 夕映(ゆうばえ) した山々は何時しか暗い鉛色と成って・・・。