中村憲剛(元Jリーガー) ・【スポーツ明日への伝言】パスで奇跡を起こす男
サッカー一部リーグJワンでここ5シーズンで4回の優勝を飾っているのが川崎フロンターレです。 川崎フロンターレに一筋18年間チームの中心選手としてプレー、現在の黄金時代の礎を築いたのがミッドフィルダーの中村憲剛さんです。 2020年を最後に惜しまれつつ現役を退かれた中村さんは現在評論家として、指導者としてサッカーへの新たな貢献を視野にいれながら活躍中です。
サッカーを外から観察するようになって、自分の表現したいものをプレイで表現出来ない怖さみたいなものがあります。 それにはしゃべる事だったり、書くことだったりそういった事しかないんだと思いました。 より勉強しないといけないと感じました。 現役の頃にも書いていましたが、そのころの方が書きやすさはありました。 しゃべり過ぎの面があるようです。
1980年10月31日生まれ、東京都出身。 東京都立久留米高等学校ではキャプテンを務めて高校選手権東京大会ベスト4、中央大学に進み、4年生の時には関東リーグ2部で優勝、1部復帰を果たす。 2003年川崎フロンターレに入団、ベストイレブン8回、J1史上最年長36歳でもMVPを獲得、2006年から2013年は日本代表に選出されて、2010年FIFAワールドカップにも出場、2017年川崎フロンターレのJリーグ初優勝、2018年連覇、2019年左膝前十字靭帯断裂という大きな怪我をする。 10か月の長いリハビリを経て復帰戦でゴールをあげるなど、2020年の3回目のリーグ優勝にも中心選手として貢献。同年11月1日に引退発表。
子供のころからJリーガーにはあこがれていましたが、中学、高校の時には胸を張って言えるような立ち位置には居ませんでした。 大学4年になって2日間のフロンターレの練習に参加できました。 半年返事がなく不安な気持ちでした。 中学では身長が136cmで一番前でした。 サッカーをやっていても怖く一回離れました。 離れたことは、いろいろ考えることがあり、逆に良かったと思います。
フロンターレではミッドフィルダーからスタートして、2年目に下がったポジションをやってみないかと監督に言われました。 最初戦力としてカウントされなくなってしまったのかと思いました。 チャレンジすることで自分の幅が広がるのではないかと考えました。それから中心選手として出れるようになりました。(ボランチ:守備的な役割を担うMF) 自分の判断一つで試合の局面が変わるので、自分に取って向いているポジションではないかと思いました。 人を活かすことを覚えました。 私がボールをしっかり止めていないことを監督から言われて、みんなでボールをしっかり止めて、しっかりパスをすることをプロの選手がやって、センセーショナルだったと思います。 そこから出来るプレイが増えて行きました。
フロンターレが地元との結びつきを非常に大事にしている。 そういった方向性を定めたのが2001,2年の頃でした。 僕が入ったのは2003年でした。 イベントとか面白い試合を見せることで川崎とのつながりがどんどん大きくなっていきました。
2019年11月2日に左膝前十字靭帯断裂、こんなプレイで切れてしまうのかと思いました。 全治7か月という事でした。 翌年辞めることは決めていたので、引退への道がはっきりと見えてしまいました。 引退の年に向けて治して、復活する姿を見せて皆さんの前で引退するという風に頭を切り替えることが出来ました。 復帰戦でゴールも決めることが出来自分自身吃驚しました。 10月31日に40歳の誕生日にゴールを決めることが出来ました。 それまで誕生日の試合はなかったし、この日もコロナで試合が延期になった日でした。 11月1日が引退表明。
ブログに記載されている事、「小さいころから理想とする自分になるためにやり続けてきたこと、それは己を知る事。」 自分が何が出来て、何が足りてないかという事を知っておくという事は非常に大切なことだと思います。 若い人に対しては、まず楽しんでほしいです。 自分の個性を存分に出して欲しい。