川村喜一(写真家) ・知床が教えてくれた「自然になりきる力」
東京生まれ、32歳。 東京芸術大学大学院を卒業後、5年前に北海道の北東にある知床に移住しています。 知床の自然に息づく命を見つめた写真集が話題になるなど、今注目を集めている若手写真家です。 川村さんは知床に来てから免許を取得して狩猟を行うようになりました。 知床に暮らし狩猟をしながら写真を撮る事で、都会にいた時にはなかった或る大切な感覚を得ることができると言います。 一体それはなんなのか、それが知床が教えてくれた示唆の転換なのかもしれません。
大学院生の頃、旅行で北海道を車でめぐっていて、知床まで行きましたが、真っ暗な中時々動物の目が光るんです。 その視線が強烈でした。 人間本位では扱う事が出来ない世界と向き合ってみたいと思ったんです。 都会とは違う時間の流れがあるように思いました。 そこに自分が身を置いて何が出来るのかとか、考えたいと思いました。
季節の流れがあってずーっと続いている時間の中で、生きているものなので、一つの点として写真を撮るだけでは繋がり、連続性はなかなか捉えられない。 生きている実感、身体感覚みたいなものがまずあって、それを一つのツールとして写真表現というものがある、という考え方になりました。 身体感覚というのは日常的に感じる肌触り、匂い、とか五感ですね。 肌触り、質感というものを写真の中に閉じ込めたいなあと思っています。
熊の写真で夜に撮影されたものです。 熊はガードレールに顎を乗せてこちらを見ています。 車の中から車のヘッドライトだけで撮りました。 何かの意志をもってこっちを見つめているんです。 それぞれの視座に立ってゆく中で、自然の中に自分がいるという事が感じられるのかなあと思います。 多様な生き物が住んでいて、それぞれに視座があって複雑な関係の中で、この状態というものが成り立っています。
彼らのことをもっと知りたいという思いから狩猟を始めました。 都会では感じられない自分の手で触れてゆくことが大事なんじゃないかと思いました。 森のなかではそれぞれの暮らしがあり、自分が見られているという感覚があります。 自分自身が自然化して行く必要性を感じました。 いろんな生き物に対するリスペクトというか、純粋に彼らは凄いなと思います。 そういった過程の方が僕にとっては大事かもしれません。運よく出会えて、こっちも落ち着いている時には鹿もあんまり警戒していない。 そうすると引き金を引ける瞬間になるので、お互い見つめ合う時間があって、お互いが探り合っているような交錯する時間があります。 その時に引き金を引くことが出来ます。 次には命をどう受け取ってゆくかという作業が始まります。 その前後が大事です。 鹿の心臓を手に取っている写真、さばいて内臓を出して、鹿が保ってきた体温というのが一気に冬の寒空に拡散していって、手は熱さを感じて、生きてきたという動物の強さ、温かみを感じられる瞬間です。 解体して切りわけていって、ザックに詰められるだけのものを積んで日暮れのなかをはあはあ言いながら歩いて行きます。
小鹿の写真もあり、一つの価値観では言い切れない矛盾した感情が悶々と巡っています。 持続可能性は自然に芽生えてくるのかなあと僕は感じます。 自然というものが切り離されたものではなくて、人間も含めていろんな関係性のバランスの中で環境が成り立っていると思っています。 地元の人は取り過ぎるなという事は暗黙の了解を持っているんです。
北方由来の知床文化があって、北方民族が元々暮らしていた。 海洋民族にとっては先端は出入り口に過ぎないと感じます。 知床には漁師、農家、猟師がいて、狩猟文化と農耕文化がハイブリットに融合している場所じゃないかと思います。 畑には大きな岩があったりして開拓の痕跡とかを肌で感じます。 農家の方が畑を守るためでもあるし、森に入って行って鹿を獲って来るという方もいます。 開拓したところを森に戻す運動も100年単位の時間軸でやっています。
高校時代、画一的、人間関係の不信、受験、とかの中で凄く息苦しくなってしまって、大学受験を通して美術に出会って、アートの多様性に触れて、そこで一つ救われたような思いがありました。 多様性を受け入れられる寛容性を学ぶことが出来て、アートをやってよかったと思います 知床に来て人間の世界だけではない、視座が広がりました。 自分の見えているものがすべてでもないし、なるものはなるし、ならないものはならないので、しょうがないというようなおおらかさは感じます。 写真は言葉よりは直接的に視覚的に人に伝える能力はあると思っています。 逆に言うとあるものしか写せない。 一枚一枚の写真を積み重ねてゆく中で、いろんな視座を通して縁取ってゆく、かたどってゆく作業かなあと思います。