2022年3月6日日曜日

緒方恵美(声優・アーティスト)     ・【時代を創った声】

 緒方恵美(声優・アーティスト)     ・【時代を創った声】

アニメ「幽遊白書」のきつねの妖怪「蔵馬」、「新世紀エヴァンゲリオン」の「碇シンジ」、「美少女戦士セーラームーン」の「セーラーウラヌス」、劇場版「呪術廻戦0」の主役「乙骨憂太」役など数多くのアニメ、ゲームに出演しながら音楽活動、ラジオパーソナリティーとしても活躍しています。  

声優としてデビューして30年になります。  劇場版「呪術廻戦0」、コロナ禍でキャッチボールが出来ないとか、しにくいとか、そういう状況下で臨むにはやはり大変な事でした。   生の空気を感じてやるのとはだいぶ違うし、若手がそういやって人と掛け合う仕事がちゃんとできない状態が続いていて、人によっては一度も誰かと掛け合ったことがないというような状態の若手もいます。  人と会わないという事は心が動かなくなって行くと思います。    若手育成の私塾をやっていますが、2か月休み、2か月リモートで授業して4か月後に再開してやりましたが、良い感じでいた人たちが驚くほど心が動かなくなって、身体も動かなくなったり、声の出る量も違って居たりして、人と会わないことはやっぱり衰えるものだと思いました。  

3歳からピアノを始めました。  父がトロンボーンを吹いていて、オーケストラなどでやっていましたが、心臓を悪くして音楽は辞めてしまいました。  母は声楽をやっていて、家中にクラシックが鳴っているような家に育ちました。   途中から洋楽が好きにありました。   芝居をやるとはちっとも思っていませんでした。   小学校の学芸会ではピアノを弾くか踊りをやるかというような感じでした。   小学校6年生の学芸会でおばあさんの「卑弥呼」役がありましたが、みんながやりたがらなくて、私がやる事になりました。  終わった後に拍手があり、握手も求められてきて、お芝居をすると友達もでき、仲良くできるというようなことが頭に刷り込まれました。   高校では或るプロダクションの養成施設に応募してみたらすぐ仕事をいただけてしまいました。   TV、舞台とか出られて、自分ではちょっと勘違いていて、後で思うと使い勝手がいいから仕事が来たんだと思いました。   学校が芸能活動禁止だと知らなくて、すぐに見つかって仕事を辞める事になりました。   

反対されたことで、芸能活動をやってみようかと思いました。  父は反対でした。   普通の大学に行くなら芝居をしてもいいと父から言われました。   静岡の大学だったことを知らずにいて、そこではお芝居の活動はできないので1年で辞めてきたら勘当されて、その後父が折れて、オペラの専門学校に行くならば許してやるという事になりました。  ミュージカル科が新設されることになり、黙ってそちらに申請を出してしまいました。   中学時代に痛めたヘルニアが再発するようになってしまって、稽古、本番で再発するようになってしまいました。  プロで踊るのは無理だと思いました。   劇団も解散することになり辞めようと思ったら、プロデューサーの方から少年役とかでステージに立つととても花があるので、声を活かして声優さんになったらいいんじゃないのと勧められました。   

「幽遊白書」のオーディションを受けて「蔵馬」役が決まりました。 (1992年)    声優になる前は正直言って声優の仕事をなめていました。  舞台の本読みみたいなものだろうと思っていました。   そうではなくて、舞台で1か月の稽古をかけて作る役を一瞬で、一日で作らなければならないのが声優だと気づいた時にこれはやばいところに来てしまったと思いました。  ボールがどこに当たったのか、想像すると、当たる場所によって声の状況も違うので、それなりの筋肉が動いていないとその声にはならない。  という事は芝居とおなじで体を動かさないといけない。  突き詰めてゆくと、いろいろな表現方法があって、すべて自分の想像力で補うという仕事なので、面白いなあと思います。  肉体トレーニングはしなくてはいけないし、想像力も鍛えないと追いつかないと思います。    

1993年に「美少女戦士セーラームーン」、1995年に「新世紀エヴァンゲリオン」。    一番苦しんだのは30代だと思います。  人は生きてゆくときに自分を守るために鎧を身に付けてゆくわけですね。  必要に応じて自分に着けてしまった鎧をはぎ取る事が大事で、それを見せるためにはぎ取ることが必要です。  自分が14歳のハートをずっと持ち続けているという事は14歳レベルで、世の中のニュースとかいろんなことを捉えるという事を常にやらなければならないと思っていました。  新しい鎧が自分についてきてしまうので、その鎧をはぎ取ろうとして、その目線で世の中のすべてを見ようとする作業をするときに、凄く苦しくて、辞めたいと思いました。  ずっと吐きそうな毎日を過ごしていました。  それは自分に必要だと感じていました。  そんな時に「新世紀エヴァンゲリオン」が始まってやり始めて、「君だけが14歳の気持ちを持ち続けてくれたから新しい映画が出来た。 ずっと持ち続けてくれてありがとう。」と言ってくれて庵野さん(監督)だけが気が付いてくれました。   

若い声優さんには厳しいですが「なりたいですね、でもまずなれないですよ」と言っています。  なりたい人がなる仕事ではなくて、選ばれてなる仕事で、選ばれる人というととても大変ですし、まず選ばれないので(1万人に一人しか)、1万人に一人をどうやって証明しますか、というところです。  努力を重ねられる人だけが選ばれる可能性があるというみたいな仕事です。  今はセルフプロデュースする人でないと無理だと思います。  自分を知って自分の価値を自分が高められる人。  そしてどうアピールするか。