2022年3月19日土曜日

柏木哲夫(ホスピス財団理事長)     ・コロナの時代を問う

 柏木哲夫(ホスピス財団理事長)     ・コロナの時代を問う

柏木さんは死が迫っている患者に、延命ではなく痛みを除去し穏やかな死を迎えることに重きをおいたホスピスの概念を日本で確立させた第一人者です。   しかし、新型ウイルスの流行によって今までのように人の尊厳を重視した看取りが出来ないケースが出てくるようになってきました。  コロナ禍の時代私たちは、そして医療者は人の最後にどのように向き合うべきかを柏木さんに伺いました。

1939年兵庫県淡路島出身。   医学の道を志した柏木さんは1959年大阪大学医学部に進学、30歳で渡米し、留学先のワシントン大学で後のホスピス医療につながる取り組みに出会い、良き死を迎えるための医療に目覚めます。  

延命、生命を長く保たせるという事は医学の一番大切な事である、そういう考え方が医学界全体を取り巻いていました。   1970年代の初めぐらいに、癌で死を迎えざるを得ないその時に、生命を伸ばすという事よりも、苦痛を緩和してもらってその人らしい死を実現させるという方向性を考えて欲しい、その考え方に接して、苦痛を緩和して安らかな死を迎えたいときっと思うだろうと、そういう思いをもって日本に帰って来ました。    92,3歳のおじいさんが胃がんの末期で、静かに死を迎えつつあるその時に、主治医が心停止が起こり始めた時に対処して肋骨が折れる音がして、これはいかんと思いました。  

1984年柏木さんは日本で初めてのホスピス専門の病棟を開設します。  ホスピス医療に30年間携わって2500人以上を看取ってきました。  

すい臓がん、肺がんの患者、それぞれ72歳で、二人の対比を話してみたい。   すい臓がんの72歳の男性は倉庫会社の社長さんをしていて、金持ちでした。  モルヒネをスタートしました。   数日で痛みは無くなったが、心の痛みが出てきて、死の恐怖が主な痛みになりました。  とんとん拍子の人生であったが初めてうまくいかなかったのがすい臓がんだった。   いい薬はないのかと叫び、叫べなくなりしゃべれなくなり亡くなりました。切ない感じでした。  肺がんの末期の患者は女性でクリスチャンの方でした。   息苦しいというのが一番の問題でした。  あと1週間か10日ぐらいの状態でした。   モルヒネとステロイドを投与して3日ぐらいで楽になりました。   娘さんに対して「いろいろお世話になったね。 いってくるね。」と言ったんです。   これが最後の言葉で次の日に亡くなりました。   この二人があまりにも対照的でした。 

すい臓がんの男性は心も痛いし身体も痛い、何とか直してほしいという心の裏には、死ぬのではないか、その死の恐怖があった。  今までの身分、財産、交友関係、家族とかこの人の周辺にあった、その人の生き甲斐みたいに生きてきたことが全部剥げ落ちてしまうわけです。 仕方なく死を迎える。   女性の場合には魂に平安がある、行き先がはっきりわかっている。  体の部分、心の部分、魂の部分もそれぞれ調和のとれた形で、うまく収まっていればいい死を迎える事が出来る。  

執筆、講演、学会のお世話、それが私の3大役割と思っています。   2500名の看取りの中で、一つの共通した体験を、「矢先症候群」という名前を勝手につけました。    58歳の肝臓がん末期のご主人が入院してこられて、早めに会社を辞めて温泉にでも行こうかと言っていた矢先にがんで倒れてしまった。  まだ先だと思っていたが、死を背負っていた。  一枚の紙に「生」という字が書かれていて、風がふっと吹いて裏返ると裏には「死」という字が書かれている。  いつ死が訪れるか判らない。  我々は死を背負って生きているという事を段々知ってきました。  やがてこの世を去るんだぞという、いい意味での緊張感をもって生きてゆくという事が大切だと思います。 

コロナの場合は準備するという事がなくて短い闘病生活で亡くなられる。   ご家族は心の準備もなくて、しかも死に目に会えない。   これは大変なことだと思います。   「生命」と「いのち」の違いは、その言葉から連想してみるといいと思います。  私は「生命」からは生命保険、生命維持装置、「いのち」からは「君こそわがいのち」(歌)、賛美歌で「いのちの泉」というものです。  「生命」は物質的な感じがする。 「いのち」は永遠性というものがあると思います。   

中川米造先生が腎臓がんで亡くなられる前にこういったんです。  『私の「生命」はもうすぐ終焉を迎えます。  しかし私の「いのち」すなわち私が大切に思っていること、私の価値観はこれから永遠に生き続けます。  今までの医学は「生命」は診てきたけれど「いのち」は診てこなかった。   これからの医学は「生命」だけではなく「いのち」をもっとしっかり診てゆく必要があると思います。  これが私の遺言です。』  この言葉を聞いてキューっと胸が締め付けられる思いがしました。  

患者さんが大事にしている事、大切に思っていることを、どう生かしてゆくかという事に医療がしっかり目を向けているかどうか、それがコロナの場合は患者さんの生命、いのちと同時に家族の生命観、いのち、最後に患者さんを看取ることができない、という事がどれほど家族にとってつらい事なのかという事に対する思いに、もう少し強く深く考える必要があるのでではないかと思います。     父親の生き様を見てきている息子がそれを参考にして、この時父親が生きていたらどうするのかなあと考えたり、困った時に父親ったらどう対処しただろうかと、父親の生き様を見てきている息子だからできることですね。   「いのち」を繋ぐというのは、その人が大事にしてきたこと、その人が持っていた価値観をその子供たちが受け継ぐ、繋いでいく意味があると思うんです。  

2500人の看取りからいろんなことを教えられましたが、人は死んでゆく力を持っているなあという事です。   死というものをどこかで覚悟して、これは誰にでも訪れる事なので仕方のない事なんだなあという風に思う力みたいなものを人間は持っているのではないかなあと思います。    身体の部分も、心の部分も、魂の部分も、それぞれが調和をとれた形でうまく収まっておればいい死を迎える事が出来る。   大切なのは死んでゆく力を発揮できないような状態を防ぐ、物凄く苦痛に満ちた死を迎えさせてはいけない。   安らかな死を実現するという事が我々の非常に大切な仕事だと思っています。  

患者さんとの距離には難しいものがあり、具合いの程度によって近づきすぎても駄目だし、離れすぎても駄目です。  患者さんの心が敏感になっている。   コロナで問題なのは手を握るという事が出来なかった。   手を握ることが効果的だという事が表情を観るとよくわかるんです。   手を握った時の患者さんの安心感は心と魂の真ん中ぐらいのところではないかと思います。   ホスピスでのグループとして、患者グループ、家族グループ、医療看護のスタッフグループ、この3つのグループにケアが必要だと思います。   特に家族へのケア、最後の接触は大事だという事です。   スタッフのストレスも凄いと思います。  コロナ病棟の場合一番問題なのは、患者さんとのコミュニケ―ションが取りづらくなっている。  ご家族とシェアすることともに考えることが大切だと思います。   患者さんの慰めになるような(写真、花その他)ものをご家族と相談して置いたらいいかなあと思います。

ホスピスではちょっとしたユーモアが死の現実と向き合う空間に、笑顔と癒しをもたらしたと言います。  柏木さんはユーモアが困難な状況を生き抜く助けになると信じています。

コロナ禍で日本全体が重苦しい中、ユーモアが持っている働きはかなり大きいと思います。ユーモアは、愛と思いやりの現実的な表現である、と定義してもいいかなと思います。   普通では笑う事が出来ない状況でもユーモアを導入することによって、つらい状況を笑いに変えることが出来る。  クスっとでもいいから笑えることにみんなが少し心がければ、上向きまではいかないまでも下がって行くのを持ちこたえることが出来ればいいかなと思います。