大槻文藏(能楽師) ・普遍性を持つ復曲に取り組む
観世流シテ方 9月に80歳を迎える。 子供の頃はほとんど祖父が稽古をつけてくれていました。 初舞台は5歳でした。 8歳の時に祖父の還暦の祝賀会があり、その一番最後に『猩々』で初シテを務めました。 自分は能は好きなほうで抵抗なくやっていました。 辞めたいというようなことはほとんどなかったです。 能界がどんどん増えてきて、自分なりの遣り甲斐みたいなものがありました。 祖父が、19歳の時に亡くなり、その後父が稽古をつけてくれるようになりましたが、祖父とは稽古の仕方が全部違うので、自分で能を作って行くうえでの物足りなさを感じて、父に話したら観世 寿夫先生に習う事になりました。 先生は芯の強さがありました。 理知的に能をちゃんと解明して自分なりに作って、それをちゃんと表現できるという強さがあり、スケールの大きい方です。
新作能、復曲を手がけてきましたが、きっかけの一番は岩波から古典文学大系が出て、「傘卒塔婆」という古い名前で載っていました。 それを読んで凄い能だなあと思いました。 「重衡」を上演したのを見せてもらって大変良かったです。 自分もしたいなあと思って、身近な研究者と話をしていたら、伊藤正義先生にお会いすることになり、『松浦佐用姫』の復曲許可をいただきました。 次に『苅萱』をしました。 伊藤先生からこれから10年間で一緒にやろうという事になりました。 毎月のように勉強会をしようという事になりました。 廃曲になっているものの中から、毎月二人で勉強会を始めました。 7,8作 10年の間にかなりできました。
その後天野文雄先生とか、いろんな方が集まってくださって、25曲ぐらいしました。 曲を選ぶのには普遍的なテーマが絶対必要だと思っています。 内容がどんな時代でも共感できるものでないといけないと思います。 現代の肌で感じる息吹をどうやってそこにいれていくか、学者さんと進めていきますが、学者さんはややもすると復元という、昔そのままをやりたいという方がよくあります。 私は普遍的テーマがあってそれが現代によみがえった時になんかを訴える、現代も考えさせられるようなものの作りをしないといけないし、作ってもちゃんと持ちこたえられるような曲でないといけないと思います。
「岩船」の復曲については村上湛さん、福王茂十郎さん、天野文雄さんという方がチームで見直しをして、取り上げられました。 視覚的な違いとしては宝を乗せた作りものの岩船が実際に登場するという事です。 コロナ禍で2年延期して、出来るだろうと思っています。
2016年 重要無形文化財「能シテ方」保持者に認定されました。 継承という事については大変です。 いろいろなことを教えなくてはいけないし、舞台に出るようになってから、能を舞うようになるが、そこから始まるわけです。 いかに豊かにふくよかにものを作るかという事が大事なわけです。 作るのは自分なので作るものを会得してもらう、その教え方もあるわけです。 人間国宝としてより責任が重いように感じます。 若い人に対してはミュージカルと同じだと言っています。(室町ミュージカル) 能は思いを述べるわけです。 人間、草木もいろんな思いがあり、人間が生きて行くうえで大変大事なものであるという事を気づいて行っていただけると思います。 あらすじを頭にいれておいていただけるとかなり面白く見ていただけると思います。 今後、大曲が引き続きあるので、頑張っていきたいと思います。