2022年3月20日日曜日

福田浩(江戸料理研究家)        ・【美味しい仕事人】江戸料理に魅せられて

 福田浩(江戸料理研究家)        ・【美味しい仕事人】江戸料理に魅せられて

江戸時代に庶民はどんな料理を食べていたのか、福田さんは当時の料理本をもとに江戸料理を再現した第一人者です。   大学卒業後、家業の料理店の傍ら、古い料理本の研究や江戸時代の料理の再現に取り組みました。   特に江戸時代のベストセラー「豆腐百珍」の再現では江戸っ子の生活が生き生きと想像できるようだと、評判になりました。  江戸料理再現の話を中心に現代にも通じる食の楽しみ方について伺いました。

江戸時代の庶民の食というと豆腐などは代表的なものだと思います。  「江戸前」は江戸湾の前の海からとれるもの、特に鰻に「江戸前」と付けたのが最初らしいです。  6,7つ川が流れ込んでいてそれぞれ栄養が違うんです。  平賀源内が土用の丑の日と言ってずーっと続いているという事は素晴らしいことです。   初鰹は女房は質に入れても食え、なんて江戸っ子は見栄っ張りなんでしょうね。  初鰹は今に換算すると20万とか30万円とか言われますが。   豆腐とか鰯が一番おかずとして食べられていたようです。  

八杯豆腐は、お椀で水6杯、しょうゆ1杯、酒1杯という8杯汁で豆腐をゆでたものです。  豆腐のおつゆです。  奈良の東大寺に最初豆腐が伝わったらしくて、「豆腐百珍」は天明2年(1782年)5月に出版された料理本です。  10年、20年かかって豆腐が広まった頃料理の本になったのではないかと言われています。   「料理物語」という本が江戸時代初期に出ています。  世間に広まっている料理を集大成したものでした。   蕎麦よりもうどんが先で、うどんの茹でようを「食ってみればわかるだろう」と料理の神髄を言っていて面白いです。   料理本は200冊はくだらない。  手書きなどを含めるともっとたくさんあったと思います。   江戸時代は太平と言われるけれども、飢饉もあって暗い面もあったと思います。   

江戸料理店をやっていましたが、平成28年に閉店しました。   築地から豊洲に変る時に仕入れていた魚の仲買い(魚を一番よく知っている)が辞めるというんです。   そうなると辞めざるを得なかった。   実家は大塚で創業が昭和10年の料理屋でした。     母親の実家は蔵前の料理店でした。  本膳を対象にしていたので、こちらも時代の流れで辞めました。   早稲田大学文学部に入りましたが、食べ物に関係する先生がいたりして、そのうちにやらなければいけないのかなと思うようになってきました。   学校を出てから早稲田の正門の前に料理講習の研究家がいて、そこに通って勉強したりしました。  父親から修行先を紹介されていったら、座り板で(まな板の前に座って料理を裁く)、祖父も同じ格好でやっていまして、昔の絵巻物を見るような感じで吃驚しました。   料理場には女の人は入れませんでした。  事前に料理、器のことは決めていて、仕事は無言で行います。   江戸時代の板場がそのまま残っていました。  

料理書原典研究会、昭和49年からスタートしました。  川上行蔵さんが料理の古い本の勉強会をやりましょうという事で、食べ物に関わる人たちがほとんど来ました。   最初は「豆腐百珍」を参考に再現をしてゆきました。    江戸の料理本には小さじ何杯とか、数値はほとんど書いていないです。  極端に言うとうまいか、まずいかの判断だけです。 再現にも厳しい人は鯛はどこからとったものかとか、醤油、炭は備長炭とか、難しいところもあります。  刺身は煎り酒と言って、お酒に梅干、鰹節をいれて、煮たたさせてこして使ったものだそうです。 (醤油が普及する以前の室町期に考案され、江戸時代中期まで垂味噌と伴に広く用いられた。)  おいしい調味料になります。  魚を活かした食べ方です。  

「豆腐百珍」をやってみて、材料を無駄にしないという事です。   買い食いばかりやっていると、世界遺産に登録された和食も消える運命にあるような気がします。  料理はすべての材料を活かしきって料理になるわけです。