2022年3月22日火曜日

キャロットyoshie.(ダンサー)      ・右手右足を失っても 今がいちばん幸せ

 キャロットyoshie.(ダンサー)      ・右手右足を失っても 今がいちばん幸せ

今年54歳、運送ドライバーとして働いていた2015年10月に、トラック同士の正面衝突事故で瀕死の重傷を負い右手と右足を失いました。   失意の底にいた時にダンスと出会い、今では義手と義足を付けたダンサーとして活動しています。  去年行われた東京パラリンピックの開会式でもダンスを披露しました。  

右腕にニンジンをかたどった義手を着けています。   膝から下が義足になっています。 キラキラ光る義足を皆さんに見ていただきます。  勇気と元気と笑顔を届けて行けたらいいと思っています。   

美容師でサロンを経営していました。  夜は大型のトラックを運転していました。  睡眠時間も2,3時間ぐらいでした。   当時は中学二年生の長女と二人で暮らすシングルマザーでした。   子どものために少しでもお金をためておいた方がいいと思って、ダブルワークしていました。   荷物を積んで走っている時に、前方から大型トラックが走ってきて、センターラインを越えてきたので、道が狭いためによけきれずに、半分正面衝突のような感じでぶつかりました。   朝の4時34分でした。  ぶつかると思ってシートベルトを外してシートを倒して寝るような形にしました。  足はブレーキを踏まなくてはいけなかったので足はやられてしまいました。(粉砕骨折)   エンジンを切ろうと思ったが右手が動かない。 左手でドアを開けようとしたが、右腕のところにぬるっとした感触がありました。   でもドアはすでに無くて右腕はありませんでした。    住民の方が出てきまして、近くに腕がないかどうか聞いたら近くにあるという事で、救急隊の人に渡してほしいと言いました。  腕がくっつくと思たんです。   でもそんな状況ではなかったようです。   痛みはなく救急搬送されました。  搬送されるまで長女のことばかりが頭に浮かび、医師には「母子家庭なので、今は死ねない。命だけは助けて」と何度も叫びました。

右腕の上の方から切断する事になりました。   右足は2か月ぐらい経ってから切断することになりました。    足先までは残っていましたが、破砕骨折で治ることは厳しかった。  娘が「切っちゃえばいいじゃな。」と先生に言いました。   「迷惑をかけることになるよ」言ったが「私がやるから」と言われました。    「義足付けて社会復帰できるんだったらその方がいいじゃない」とさらっと言いました。  涙をこらえていましたが「泣けば良いじゃない」と言われてバーッと出てきてしまいました。 それで2016年年が明けてから切断しました。   最初は寝たきりで、足も焼け石を付けられているように熱かったです。   足がないんだけれどあるような感覚がありました。  リハビリはきつかったです。  最初は寝た状態でのリハビリ、車いすでのリハビリに移っていきました。   細菌により感染して痛くて義足を履くことが出来ず、装具を付けて歩けるようになったら退院しましょうという事になりました。   それまでに2年ぐらいかかりました。   辛くてリハビリを辞めたいという事はありました。    美容室もできなくなっていたので、予約をキャンセルするための対応などを娘がしてくれました。   

担当の看護助手さんから車いすダンスがあることを教えてもらいました。   調べて見学に行きました。   車椅子を操作して笑いながらダンスをしている姿を見て、こんな世界があるんだと思いました。   義手義足のダンスをするようになりました。   違ったダンスもやりたいと思って、ジャズダンススタジオにも通い始めました。   体力が不足していることもあり、板バネを付けて走ることも教えてもらいました。   義足は細かいところまで装具士さんに調整してもらいます。   普通の生活の義足とダンスをするときの義足は全く別です。   陸上は板バネ、普通の生活の義足は足の形をしていて、ダンス用は特注で、杖のような棒でそこにLEDのテープを巻きつけています。        

ディズニー映画「ズートピア」の主題歌に励まされ、義手装具士さんに「この曲で踊りたい」と言ったら、「右腕にニンジンのソケットを付ければいいよ」と言われて、「キャロットyoshie.で頑張って出て行け」と言われました。(キャロット=ニンジン)  生活のこと台所作業も病院で習いますが、家に帰ると勝手が違ってどうしようかと思いましたが、娘にいろいろ手伝ってもらいました。  だんだんと考えて一人立ちするようになっていきました。   

私が住んでいるところは車がないと不便なところで、車を運転しようと思っても2年半リハビリをしていて、公道を走ったこともなく、怖くて最初走った時には20km/hでした。  何回も練習してようやく走れるようになりました。   娘から励まされる言葉が一杯ありますが、「今」という言葉がよく出てきて「今のこの一瞬を大事にして楽しんで、生きて行けばいいんじゃない。」と言われます。   先生からも「過ぎたことはもう終わっているんだから、反省する事はあるにせよ、今のあなたにはもう過去は思いだすことはしないほうがいい、逆に今を見なさい。」という事は言われていました。   娘が段ボールに「今」という言葉を書いてくれて病院の壁に貼ってくれました。   

昨年八月の東京パラリンピック開会式に出演しました。  モデルとしても撮影していただきました。  小学校での特別授業では自身の義手や義足を児童らに間近で見学してもらう事もやっています。   娘への恩返しがしたいのと、これからもよろしくという事。  たくさんの拍手をもらって、世界中の人たちに勇気と元気と笑顔を届けたいと思います。