権代美重子(観光振興アドバイザー) ・知恵と工夫と愛情がいっぱい!日本のお弁当文化
権代さんは国際線客室乗務員の経験を活かし、企業や団体の接遇教育や観光分野におけるおもてなしの指導に長く携わり、大学でも教えました。 日本のおもてなしと食文化への関心を深め、特に庶民の食が凝縮したお弁当の歴史と文化を研究、著書「日本のお弁当文化、知恵と美意識の小宇宙」にまとめました。 学校に職場に行楽に日本人の生活に欠かせないお弁当は近年の和食ブームの中、海外でも人気急上昇中という事です。 また漫画やアニメに登場するキャラクターをご飯とおかずで表現するキャラ弁がブームになっています。 お弁当にはどんな歴史や文化があるのか、伺いました。
お弁当のバリエーションが増えて利用する方としては楽しみになりました。 家で作って外で食べるものでしたが、ちょっとした御馳走を手軽に味わえるというように変わってきました。 お米がお弁当になったのは、江戸時代の中期以降です。 8世紀初期に編纂された日本書紀の中に5世紀には戦いなどには干し飯を携帯したという記述があります。 江戸時代中期になると新田開発とか品種改良が進んで、お米の生産高が増え庶民も食べられる様になりました。 江戸時代中期以降は菜種油の普及により、夜の灯りが灯るようになって一日の生活期間が長くなり、一日3食の生活形態が成り立ちました。 そのころから昼ご飯をお弁当として携行するようになりました。 干し飯を携行する時代は麻袋にいれて、そのまま水や、お湯に入れてふやかして食べました。 江戸時代の中期以降は炊いたご飯を入れるために弁当箱が使用されるようになりました。 時間が経つと硬くなったりうまくなくなったりするのでいろいろ工夫されました。 ヒノキスギで作ったお弁当箱。 殺菌作用もある。 柳を編んだり、竹を編んだりするお弁当箱もできました。
武士もお弁当を持って行ったりしていました。 林業、狩猟では決して凍らない弁当を持参しました。 ごんぽっぽという植物を混ぜてお米を突いた餅は凍らないという作用が起きます。 お花見弁当は、江戸中期8代将軍の吉宗の時代になって、飛鳥山に桜を植えて庶民の花見を奨励しました。 桜の木の下で宴でお弁当を広げました。 楽しみにして、豪華なごちそうが入っていました。 花見弁当は重箱に入っていました。 さくらが咲き始めるのが農作業を始める頃なので、桜の下でみんなで食べて、神様を呼び寄せるというような意味もあったようです。 芝居見物も大きな楽しみでした。 土間の客を菓弁酢(かべす)客と言って、菓子がでて、弁当が出て、寿司が出るが、木戸銭の中に含まれている。 幕の合間に出たのが、幕の内弁当で、焼きおにぎり、卵焼き、かまぼこ、煮物が組み合わされていた。 卵はかけそば一杯よりも高かった。
見物しながら食べたり飲んだりしていたが、明治時代になり西洋の演劇に劣らないようにするという事で、客席でお弁当を食べることを禁じられてからは、歌舞伎も芸術になってしまいましたが、江戸時代は食べたり飲んだりしながら身近で楽しむ娯楽でした。 明治5年に鉄道が開設されて、明治18年に駅弁が登場します。 一番最初はおにぎりに黒ゴマが振って有って、おにぎりが2個に沢庵が2切れで竹皮に包まれていました。 今は3500種類以上の駅弁があるそうです。 2016年にパリのリヨン駅で駅弁のテスト販売が行われ、掛け紙、容器の種類、綺麗さにびっくりした様です。 明治の鉄道省は掛け紙にその地方の観光案内の内容も記載するように指示していました。
1970年代、高度成長経済期で女性も働くようになったり働く人が増えて、手軽なものが開発されました。 安い弁当も出て来ました。 今は持ち帰り弁当は300円から500円ぐらいになっています。 高齢化社会になって、高齢者向けの宅配弁当、療養者への宅配弁当とか届けてくれるお弁当が出て来ました。 お弁当が社会的な意味を持つようになりました。
1970年代後半、アメリカに住んでいましたが、当時アメリカでは簡便さが第一で紙袋に入って居たりしていました。 最近ではお弁当箱が売り出されるようになりました。 日本のお弁当屋さんが進出するようになりました。 おかずなどの種類の多さにびっくりしています。 ヨーロッパなどでも手作り弁当が盛んになってきました。 きっかけは日本の漫画やアニメでした。 いろんなものを綺麗に入れていることにビックリしています。 キャラクター弁当を作って自慢したりしています。
一番心に残っているお弁当は、父が肝臓の病気で入院していた時に、母がシジミのスープを作って毎回病院に届けていました。 母の思いを感じました。 お弁当は小さな幸せを届ける力、小さな幸せを貰う力、小さな幸せを分け合う力があるんだと思いました。