須崎康弘、和代(東京オリンピック女子レスリング金メダリスト 須崎優衣選手の両親) ・【アスリート誕生物語】
全試合テクニカルフォール勝で失点ゼロ、圧倒的な強さが必要です。 今までの大会で最高の試合だったと思います。 開会式では旗手も務めました。 昨年紫綬褒章も受賞。
今年早稲田大学を卒業して、社会人でもパリで金メダルを目指すという目標が出来ているようです。
康弘:人にやさしい子であってほしいという事と、人に喜ばれるような人になってもらいたいという事で、優衣という名前を付けました。 私も格闘技をやっていたので、大相撲、レスリング、ボクシングのビデオを一緒に見ていました。 優衣が1歳の時に1kgの鉄アレイをプレゼントしました。 筋肉と笑顔を持っていれば人生何とかなっちゃうという考えがあり、自分自身もそういう人生を歩んできました。 早稲田大学でレスリングをやってきて、今も町のジュニアクラブでコーチをやっています。 赤ちゃんの時に童謡ではなくアニメの「明日のジョー」とか「タイガーマスク」のテーマソングを聞かせて寝かしつけていました。(半分酔っ払いながら) 運動神経は良かったです。 2歳の時に補助輪なしで乗れました。 ずるいことはしては駄目だという事と、笑顔と感謝を忘れないようにという事は言いました。
和代:子供は些細な事でも褒められると嬉しいので、家事などでも褒めてやってもらっていました。
康弘:オリンピックの吉田選手の試合を見てあこがれたという事、小学校1年生の時に海水浴に行って、たまたま千葉県のレスリングの先生も来ていて、レスリングごっこをして遊んでいたらバランス感覚がいいという事でやってみたらという事で、レスリング教室に誘ったのがきっかけでした。 私がコーチをしている松戸ジュニアレスリングクラブに入りました。 まず好きになってもらう事が大事だったので叱ったりする事はなかったです。積極的な試合をした時には褒めてあげました。 教えていないのにタックルは最初からできました。
和代:姉と一緒にレスリングをしていて週に一回だったので遊びに行く感覚だったのかもしれません。
康弘:自宅ではレスリングの練習などは全くやりませんでした。 家では友達感覚でした。 小学生の全国大会で小学校3年生で全国大会で優勝して、意識が変わってきたと思います。
和代:小学校4年生の文集に目標がオリンピックと書いていましたが、一般的な思いで強い決意ではなかったと思います。 食事は普通の食事しか作らないです、お腹いっぱいになるようには好きなものとか作りました。 全寮制のJOCエリートアカデミーに入門してそこの寮の食堂の調理師さんの方のお陰だと思います。 その食事のお陰で強い身体が出来たと思います。
康弘:14歳で親元を離れる事になりましたが、寂しさがあり反対でした。
和代:転校の問題があり、その他いろいろ普段の生活が出来るのか、期待1割不安9割といった感じでした。
康弘:1時間ちょっとで帰れる距離でしたが、遠方から来ている子もいるのでその手前、週末は帰ってこないで年3回ぐらいでした。
高校2年生で日本一、高校3年生で初出場の世界選手権で優勝。
康弘:辛さの代償としての栄光なのかなと思います。 肘の靭帯を損傷した時には色々心配しました。
和代:もう辞めなさいと言う事はなかったですが、一度だけ「もうそんなに頑張らなくてもいいんだよ」と言ったことはあります。
2018年全日本選手権の直前に開始した強化合宿で右肘の靭帯を断裂、全治8週間の大けが。全日本選手権を欠場。 無観客での東京オリンピック。
康弘:怪我をしてきているので、試合中怪我をしないか心配でした。 金メダルを取れて会えた時には「夢がかなってよかったね」と声を掛けました。 試合が終わって2,3日してから会う事が出来ました。
和代:金メダルをかけてもらって、本当に重たくて、思いの詰まった重みと重さを感じました。
康弘:身体能力が特にすぐれているというわけではないですが、有言実行でオリンピックに出ることはぶれずに話していました。
和代:競技の実力の差はそんなにないと思いますが、最後の最後まで夢をあきらめないというところの差かなと思います。 夢を言葉にして発することも大事なのかなあと思います。
康弘:優衣に望む親孝行とは、次の納得できる夢を叶えてもらいたいという事と、健康で怪我もなく引退して次の目標に向けて再出発してもらいたい。 人に喜ばれる人になるというような人生を歩んでもらえればと思います。
和代:大きな怪我や病気をしないで、本人が望むような納得できるような形で無事に引退できることを願っています。