2020年9月9日水曜日

鹿沼由理恵(パラリンピックメダリスト) ・ただひたすらに前を向いて

 鹿沼由理恵(パラリンピックメダリスト) ・ただひたすらに前を向いて

鹿沼さんは東京都町田市出身39歳、2016年のリオデジャネイロパラリンピックの自転車競技女子タンデム個人ロードタイムトライアル視覚障害者クラスで銀メダルを獲得しています。 その後トライアスロンに転向して東京パラリンピックを目指していたんですが、リオの前から苦しんでいた両腕の神経麻痺が悪化し、左腕の切断を余儀なくされます。  ちょうど同じころ最愛の母親をがんで亡くすという悲しみも経験しました。  でも鹿沼さんはトップアスリートとしての道を追い求めています。  トライアスロンからブラインドマラソンを経て今は再び自転車での競技復帰を目指しトレーニングに励む毎日です。   ただひたすらに前に進む鹿沼さん、その強い心を支えるのは何なのでしょうか。

女子タンデム個人ロードタイムトライアルはタンデムという視覚障害者が乗る二人乗りの自転車で前に同性の健常者が乗って後ろに視覚障害者が乗って、漕いでタイムを競う競技です。

平坦もあり、傾斜の坂もあります。  ロードタイムトライアルは30kmです。

脇真由美選手と一緒に乗りました。  スタート1分前にギアを調整しようとしたら、一番重いギアのまま動かなくて、スタートが重くて走り切りました。  2位に入ったことは理解していませんでした。

クロスカントリースキーの競技の選手をやっていました。  2010年のバンクーバーのリレーで5位、個人種目でも3種目出場しました。   2012年の冬にクロスカントリーの練習中に転倒して左肩じん帯を痛めてしまってあきらめ、自転車タンデムがあるといわれて自分でもできるかなと思ってそれがきっかけで始めました。

風を切る感覚気持ちよくて、脚力も自転車のほうが要ると思っていけるかなと思いました。

2012年に転向して4年後にはメダルを取ることができました。

2015年に自転車で落車して転倒して怪我をして、そのあとに大会に出たときにぎりぎり入賞できた状態でした。

2016年にピークを持って行けたと思います。

手首から先が痺れていてハンドルを強く握れなかったので、スタッフにテーピングしてもらって指も力が入らなくて指の間で抑えるハンドルの握り方を3か月前に変えました。

リオから戻ってから病院に行きましたら、両腕の絞扼性末梢神経障害という診断でした。

原因は不明で、痛みがあってもハンドルを握って自転車に乗っていたことで悪化させてしまいました。

2018年3月中旬に左腕の切断手術をすることになりました。  切断することによって又その先を生かすことが自分にとってこの腕への恩返しと思って切断しました。

同じころ母がすい臓がんで闘病していました。

切断の場所に物をくっつけて抑えたりしていました。  例えば食器を洗う時は左腕にスポンジを固定して右腕で食器をもって右腕を動かして洗うという方法にしました。

復活を目指していたのでぎりぎりのラインのところを切断しましたが、最終的に一番無難なところを3回目で切りました、肩から10cmぐらいのところです。

母は2018年の9月に亡くなりました。 母を見送ってから3度目の手術を受けました。

視力は0.04で視野も真ん中が見えなくて周りが見える形です。   視線を動かして見えないところを補っているという形です。

東京大会に選手として出れないのは悲しかったが、選手として自分がやってこれたのはいろんなところで支えてもらって、応援してくださる人がいたからこそ自分は選手をやってこれたと思います。

小さい頃はほとんど外で遊んでいました。  怪我をして泣いて帰ってもあんたがやったから泣いても仕方ないでしょうと言われました。

小さいころから目の見え方は同じでした。 正常はどんな見え方なのかわかりませんでした。

自転車に転向した時にはスピードが出るので危険だという事は母は言いたかったと思うが、自分がやると決め、静岡で怪我をして入院して、毎日来なくてもいいよと言ったんですが、町田市から電車で通ってきて何も言わずに身の回りの世話をしてくれていました。  この先続けるかどうかの決断を自分でしなさいという、決断する場所を与えてくれたという意味では毎日通ってくれていたことは一番の思い出です。

復活を応援してくださる方のためにも、もう一度自転車で復活したいです。  障害者自転車とタンデムの仲間を増やしていけたらと思います。

タンデムは関東で走れるのは千葉県と群馬県と茨城県の一部だけですが、世界ではどこでも走れるというのがほとんどです。

去年マラソンで日本代表を決める大会で町田市から2名出ましたが、子供たちと一緒に応援できたらと思って、町田市内には小学校が42校あって、回ってたすきにメッセージを書いてもらって集めました。 オリンピックの競技パラリンピックの競技が身近に感じられることを伝えられたらいいなあと思います。

スポーツから得られることは、生活の一つ一つがそこに全部結び付けられることですかね、食べる事、寝る事もそうですが、スポーツ、自分が好きなものを高めてゆくにはどうしたらいいかいろんなものを調べたり、気になる選手のことを調べたりするのは楽しいし、そういうところも繋がっていくのかなあと思います。

今は病院の管理の事務で仕事をしています。 出勤する前に自転車を1時間ぐらい漕いで、仕事帰りに2時間ぐらいランニングして帰ってきます。 

視覚障害は先天で自分の感覚として比べるものがなくて、腕の切断に関してはやれていたことが同じようにできなくなるという比べるものがあり、切断した腕がまだ長い時には例えばペットボトルを腕に挟めたが、10cmぐらいになるとそれができなくなったが、腕を上げて顔との間で挟めることができるようになるとか、生き方のいろんな可能性を見出せる、共生社会と言われる中で自分の体がそういうことだと思っています。 自分の体をフルに生かしてそこに自分も関われたらいいなあと思っています。

自分との向き合いの連続だと思っています、自分のやりたい気持ちにどう自分がついていくかというか、自分のメンタルを強い方向にもっていかなければいけないし、周りから何を言われてもわが道を行くタイプです。

この先の目標は自転車で復活して皆さんに恩返しをすることです。