楊 慧(太極拳師範) ・師・楊名時の志を引き継ぐ
楊名時さんは京都大学に留学し、日中の懸け橋となる外交官を目指しましたが、戦争のため夢かなわず日本にとどまりました。 大学などで中国語を教えていました。 1950年代中国では昔から伝わる多くの太極拳の流派を整理統合して国民だれでも親しめる太極拳にしました。 楊名時さんは幼いころから太極拳を身に付けていましたが、日本で学んだ禅、能、華道など和の心を加味して日本人に合ったゆったり呼吸する健康太極拳を作りました。 長女の楊慧さんは父であり師である楊名時さんの太極拳の心と技を引き継いで40年経っています。 いまでは海外にまで愛好者が広がっています。
健康太極拳、誕生して60年になります。 60周年を記念してみんなで太極拳をしましょうと企画していましたが、コロナで出来なくなってしまいました。 「太極拳で100歳まで健やかに美しく生きましょう」という本を出版しました。 平均寿命が長くなって、健康寿命と簡単に言うが、なにか一つのことを続けてゆくことって素敵なことだという事を伝えたかった。 太極拳は何歳からでも始められます。身体をさまざまに動かして行きますが、それを続けることで本当に心を落ち着かせてすがすがしい気持ちになります。
太極拳は中国で長い歴史の中で生まれた体術です。 攻撃があって防御もある。 背景には東洋の宇宙観、自然に流れる偏りのない、陰と陽、天と地、明と暗、というように混とんと混ざり合いながら一つのものが形作られるという大きな宇宙観があります。 手の動きも半分はゆっくり休み半分は活動して、あなたの体は小宇宙ですと、大宇宙とも繋がりながら良い流れを身体を作ってゆくのが太極拳だといわれました。 大きな世界の中に自己をゆだねて調和してゆく思想を背景に持ちながらの武術です。 1950年代中国では昔から伝わる多くの太極拳の流派を整理統合して24の動きにしました。
父は1943年に京都大学に官費留学しました。(戦時中) 生まれた家は豊かで優秀な生徒で、留学の機会があるという事を知って、留学を志したようです。 1年目は東京で過ごして日本語を学んで、金田一先生とか日本の素晴らしい先生方が指導しました。 京都大学に入ってお寺などをめぐったり、能楽堂とかに連れて行ってもらったりして日本の文化に触れることができました。 禅も学びました。
外交官になりたいという夢も持っていました。 平和を願う気持ちを父は持っていまた。 太極拳を日本に普及したいという思いがあり、太極拳を介して日中の懸け橋になるのではないかと思ったそうです。 30代に半ばには太極拳の指導を始めていきました。
私が高校生ぐらいの時に太極拳をやってみようという思いが出てきて父に指導してもらうことになりました。
父は言葉では教えてくれなくて黙って真似をしなさいというだけでした。 今思うとあんな素晴らしい教え方してもらったと感謝しています。 ゆっくり柔らかく、心も体も柔らかくという事を教わりました。
指導を始めて40年になります。 基本的にはいつくつかの大事な体の使い方のポイントがあります。
①姿勢を整える。(上虚下実) 上半身は楽にして、下半身はしっかり足元を踏みしめる。②陰陽バランス (内外相合)体の左右、前後のバランスをとる。 内は心、外は動き、太極拳の型などのバランス。 ③心、息、動の一致 心と息と動きを一致させる。
いい呼吸ができたなと感じた感覚を大事にしながら、自分にできる簡単なことを続けてほしい。
「あいおおく」という言葉があります、 「あ」は焦らず(ゆっくりでいいですよ)、「い」は威張らず(謙虚でいなければいけない)、「お」は怠らず(続ける事)、「お」は怒らず(怒ると心身のバランスも崩れてしまう)、「く」は腐らず(いろんなことを受け入れながら、ゆっくり進めばいい) 人を愛し、自分を愛し、人生を愛していきなさいという生きてゆく道を示唆する優しい言葉だと思います。 (「愛多く」)
太極拳は足の動きが入っていて、柔軟に使ってゆくので足腰を丈夫にするというのはずーっと言われてきました。
24の動作の中にあらゆる筋肉関節をまんべんなく使って、上下左右前後のバランスがおのずと取れてゆくという動作になっていて、中心軸が崩れることなくいい筋肉を作り上げて、柔軟にしてゆくので足腰が丈夫になって転倒予防に役立つという事は明らかになってきています。 パーキンソン病の治療として適用されたり、骨粗鬆症、メンタルヘルスなどにも効果があります。
継続は力なり、続けているといいものを積み重ね養ってゆくことができる。 「健康、友好、平和」 健康な体と心を持つことで、身近な人と友好の場を持てて、結果として平和につながってゆくと思います。