2020年9月4日金曜日

国府弘子(ピアニスト)         ・心筋梗塞からの生還

国府弘子(ピアニスト)         ・心筋梗塞からの生還 

国立音楽大学ピアノ科を卒業後単身渡米、帰国後1987年デビューしました。  以来ご自身のトリオでのコンサートやオーケストラとの公演まで幅広く活躍しています。  国府さんは昨年11月神奈川県川崎市でのリハーサルのあと 突然胸の痛みに襲われそのまま緊急入院しました、心筋梗塞でした。   現在はすっかり回復されライブ活動など精力的に取り組んでいます。  心筋梗塞が起こった時の様子やその後の経過について伺いました。

8月の終わりにはライブがありました、きちっと感染対策の姿勢を感じたらみんなで出来る限り気を付けながら行いました。  

22年間続けてきたトリオなので、自粛の時期も3人で連絡を取り合って、逆にコミュニケーションを取り合えました。

昨年の11月、川崎の大きなホールでのコンサートで、お昼ごろ入って、リハーサルを何人かでして、私がリーダーだったので、みんあにあれこれ命令してリハーサルが終わったところで、心臓のあたりが激痛が走りました。  汗で下着も洋服もぐしゃぐしゃに濡れるぐらいでした。   救急車が連れて行ったのは2分ぐらいの近くの心臓の専門の病院で、痛みの発症から1時間もしないで手術が始まりました。  それがラッキーでした。

血管が明らかに詰まってしまっていて、腿の付け根から心臓の近いほうまで、針金みたいなものを血管のなかを大きなスクリーンで見えて、痛みは麻酔と手術でとれました。

手術室にはジャズがかかっていましたが、ステントの手術(大動脈瘤のカテーテル治療)は意識がある状態でやるものなので音楽は凄くリラックスする効果があるという事でした。

「コンサートは6時からなのであと1時間休めば行っていいですかね」と医師に話したら、目をむいて「なにゆうてんねん、これ心筋梗塞やで、まだこれから脳を検査して、脳に飛んでいたら何梗塞かいってみいい」と言われてしまいました。   コンサートは私を含めて4人でやる予定でしたが、3人が私の分まで頑張ってくれました。

後でコンサートを録音したのを聞いて、泣きながら聞きました。

脳の検査では問題ありませんでした。

人間って、血管と筋肉が身体を作っているので、血管に対してはまったく取らないわけにはいかないが油、糖、塩分とかが問題を起こすこともあります。

半年から4か月前ぐらいから自覚症状はありました、鍵盤ハーモニカを吹くと物凄く心臓がどきどきして汗をだらだらかいてしまっておかしいなとは思いました。

今はNHKのラジオ体操をやっています。 

手術後1か月休んで活動を開始しました。

ちょっとおかしいと思ったら大事になる前に見ていただきたいと思います。

新しいアルバムをちょうど作り終わったときで、興奮と疲れをため込んでいたと思います。

*「ジャズばあちゃん」 演奏:ヴァイオリンに早稲田桜子さんと国府弘子トリオ 新しいアルバム「ピアノパーティー」より

恩師とか大先輩とかが旅立って呆然としているときに、残された同志、息子さんとか、お孫さんとかと集まった機会でぐっと親しくなって、人と人とをつなげていくんだなあと思いました。

リストの「愛の夢」を英語で結婚記念日の長いコンビを組んできた相棒に感謝を贈る歌詞を付けて、別の「愛の夢」に替わって「ドリーム オブ ラブ」というタイトルで露崎春女さんに歌ってもらっています。  アルバムの一枚の中にいろんなジャンルの音楽が盛りだくさんに入っていて、区別しないで構成されています。

大学で客員教授として講義もしています。  セラピーとか激励みたいなところがある授業なのでオンラインではちょっと伝わらないので、残念です。

何かをやるときに成功体験というものがどれだけ大事か、それでいいんだと誰かに言ってもらえると勇気が音の音色の艶を付けてくれちゃうんです。 いいところを言ってあげると激変します。

春には出来なかったコンサートですが、秋の終わりぐらいにはスケジュールが埋まってきています。