2020年9月27日日曜日

谷保恵美(スタジアムアナウンサー)   ・球場アナウンスひとすじ30年

 谷保恵美(スタジアムアナウンサー)   ・球場アナウンスひとすじ30年

プロ野球の球場アナウンスをを30年間勤め、前人未到の一軍公式戦担当連続1600試合、通算1800試合を達成した千葉ロッテマリーンズの谷保さん、小さいころから野球少女だった谷保さんは球場アナウンスの仕事をしたいと、12球団に片っ端から電話をかけて就職活動を展開、どの球団からも 空きがないと断られましたがあきらめず、ロッテオリオンズから経理の仕事ならと採用されました。  就職1年後球場アナウンスの仕事に空きが出て念願のデビュー、それから30年間ファンや選手に明るく爽やかな名調子で球場アナウンスを続けてきました。 30年の間にはどんな喜びや苦労があったのか伺いました。

球場に通わない生活が初めてなので変な感じでした。 3か月遅れて始まり、お客様がいない球場でのスタートだったのでこんなに寂しいもの何だなという事を実感しました。 お客さんが来てくれるようになってそれを見ただけでも感動しました。

北海道帯広の出身で、父が野球が好きでナイター中継を毎日TVで見ていました。  父は自分も野球をやっていたし高校野球の監督もしていて、甲子園には二つの高校で2回づつ出場しました。

私は高校では野球部のマネージャーをしていました。  短大でも野球部のマネージャーをしていました。  そこのリーグ戦でアナウンサーを担当しました。

卒業後、12球団に電話をかけて相談しましたが、断られてしまいました。  アルバイトをしながら電話をして、ロッテオリオンズから経理の仕事ならと採用されました。

野球での経理の仕事をしているだけで感激でした。 1年後に1軍を担当していたアナウンサーが辞めて、2軍担当の人が1軍に回り私が2軍のアナウンサーを担当することになりました。

仕事をやりながら球場に通ったりして色々勉強をしました。  一番最初の時は緊張して今でも思い出します。(1991年)

1991年8月には川崎球場で1軍を初めて担当しました。 通算1800試合以上を担当することになりました。  最初のころ一軍では緊張感が凄かったです。

元気な声が伝わるように普段から心掛けていました。 スコアブックを付けながらやっています。 双眼鏡をもって交代選手があるかどうかとか見ています。  新聞をスクラップしたものも持っています、特に春先は新人、新外国人もいるので。 のど飴も持っています。

マリンスタジアムは海の近くで風も強くて屋外球場なので反響が毎日違うので、なるべくはっきり聞こえるように考えながらやっています。  名前によって難しい発音もありますので色々工夫しています。

三郎選手の名前は長く呼んでいましたが、最後の試合の時には特に長く名前を呼んで、喜ばれました。

風邪をひかないようにしているのですが、1度試合に行ってから40℃の熱が出てきてしまってその日は大変でした。 そのシーズンの最後の試合で初芝選手の引退セレモニーの日でもありました。  家では首にタオルを巻いたり乾燥には気を付けています。

親戚、友達とかの冠婚葬祭には出れなかったりして、残念でもありつらかったです。   祖母の葬式には出られなくて本当につらかったです。 そのときにも明るい爽やかな声を出さなくてはいけないし。

連続では1600試合を超えました。  最初が1996年の近鉄戦、達成が昨年西武戦でした。

電車が止まってしまって、携帯もない時代だったのでイライラした時もありました。

通算1800試合は最初は1991年8月で、達成が昨年7月のオリックス戦でした。  選手の立つお立ち台に上がらせてもらって祝福を受けて感動しました。

試合開始から終了まで緊張して、「試合終了でございます」と言って終わるとホッとするのでやり甲斐を感じます。

祖母からは「感謝しなさい」「思いやりを持ちなさい」「謙虚な気持ちを持ちなさい」という言葉を言われていて、大人になって大事な言葉だなあと思うようになりました。

優勝の瞬間は千葉ではないので千葉の皆さんと一緒にその瞬間を体感したいです。