2020年9月3日木曜日

佐藤 優(作家)            ・私の"還暦"からの人生戦略

 佐藤 優(作家)            ・私の"還暦"からの人生戦略

60歳、埼玉県立浦和高校、同志社大学大学院神学研究科を卒業後、外務省に入省、旧ソ連の大使館勤務を経て外務省の主任分析官として対ロシア外交の最前線で活躍しました。 しかし2002年には背任と偽計業務妨害で逮捕起訴され、2009年に有罪が確定して失職します。 この間1年半近く拘置所で過ごしました。  その後裁判の続く中で書いた「国家の罠」で毎日出版文化賞特別賞を受賞、「自壊する帝国」では新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞して作家の道を歩み始めました。  以来国際情勢や宗教、教育などをテーマにした多くの著作を発表しています。 今年還暦を迎えた佐藤さんは人生後半からの生き方のヒントをつづった、「50代からの人生戦略」という本を出版し、反響を呼んでいます。  佐藤さんに自身の人生や若者たちの教育への思い、還暦からの生き方について伺います。

東京で生まれてすぐ、埼玉に移りました。  その後埼玉県立浦和高校に入りました。

入学した年の夏に海外に単独で行きました、当時のソビエト、中央アジア、東ヨーロッパ諸国に行きました。  英語も好きでしたが、違う体制の国を観てみたいと思ったのと、中学校1年生の時からハンガリーの友達と文通をしていました。  父が後押しをしてくれました。

父は銀行員をしていまして資本主義体制の最前線でやっているが世の中はどう変わるかわからないという事とか、東京大空襲を経験して航空隊に入って通信兵として中国に行きましたが、国、政府、マスメディアもかなずしも本当のことを伝えないこともある、体制も色々変わってくることもあるから、日本と全く異なる体制の共産圏を観ておくことはいいことだと父が後押しをしてくれました。

当時の日本の住宅事情、公共交通機関と比べてレベルはソ連、東欧は高かった、特に東欧諸国は高かった、食事も豊かでした。  イメージとは違ってました。

1975年から約10年後に再訪しましたが、その時はむしろ貧しくなっていました。

1975年ごろは社会主義体制の頂点のころでした。

ハンガリー、ポーランドで知り合った社会主義の同世代の若者たちは英語がうまくて、自分の考えていることをしっかり言う、自由に言う、政府への批判、将来の自分のビジョンについて語る。    受験戦争もありませんでしたので本もよく読んで内面的な自由がある国だと思いました。

高校で夏休みの宿題が思ったようにいかず、やる気をなくして、まわりも受験でびくびくしているし面白くないと思って、倫理社会を担当していた堀江朗郎先生が、歴代のアメリカの大統領に強い影響を与えたラインホールド・ニーバーという政治学者で神学者の「光の子と闇の子」という本の原典講読をやって物凄く難しい英語で、受験英語はほんの入り口なんだという事を知って、又神学って面白いなあと感じたわけです。  それで大学、大学院では神学科に進みました。

大学の2回生の時にチェコの神学者ヨセフ・ルクル・フロマートカのテキストと出会って、1930年代のスペイン市民戦争、ファシズム、ナチスの台頭があり、ファシズムの台頭を阻止しないといけないと言い出して、第二次世界大戦中はアメリカに亡命して、戦後共産主義化したチェコスロバキアに帰国しますが、共産党の協力者になったのではないかと批判されるが、人間とは何かという事で社会主義社会の中から変えることをやっていて、それをベースにして生まれてくるのがプラハの春で、同時に核廃絶をやらなければいけないという事を考えて活動していた人です。

ソ連が戦車を入れてくるが、徹底的にソ連を批判する。 反体制派の烙印を押されて、プラハの春の翌年12月に亡くなった神学者で日本ではほとんど資料が集められない。

外務省専門試験があり受かるとプラハの大学に留学できるらしいとのことで、いろいろいきさつがある中で結局外交官になることになりました。

「蘇る怪物」ソ連崩壊前後のロシア人の知識人達とのつきあいの話。

1979年に同志社大学神学部に入って、85年に大学院修士課程を修了して第一回目の青春があり、86年からイギリスにホームステーしたときにはもう一回中学高校に還ったような感じでした

2002年には背任と偽計業務妨害で逮捕起訴される。

検察官もなかなか魅力的な人で彼らは彼らなりの正義をもとに追及してゆくし、鈴木宗男さんは鈴木さんなりの正義を追及している。 商社から賄賂を取って北方領土をおかしいことをしている言う話ではなかった。  実際にそういう風な犯罪の認定はなかった。

人間を深く見るという意味では獄中の512日は非常にいい経験になりました。

獄中では原書(外国語)は差し入れができなくて、日本語のものだけとなり、原文の太平記を通読するとか、ヘーゲルの「精神現象学」を通読するとか、いろいろトライできたのは非常によかったです。 

最後の半年は両隣が確定死刑囚でした。  連合赤軍事件の坂口弘さんで、坂口さんがすごい読書家でした。  差し入れ品を観てこんな本を読んでいるのかとかいろいろ想像したりして、まったく口がきくことができなかったが、差し入れ品を観るだけでコミュニケーションができるというところで勉強になりました。

真面目な人間がどこかで道を外した時にどこでそれを引き取とめるかという事になると教育の役割、友人の役割は大きいのではないかなあと思います。

正義感、理想は誰もが持っているが、若いうちは理屈では大人と同じような形で把握できるが、皮膚感覚でそこから何が起きるかとか、体験のところが足りない部分があるので、そこで道を間違えてしまってはいけないと思うわけです。

ある時に坂口氏がオウム真理教の人たちに向けた手紙を新聞を通じて発表するが、ちゃんと出頭したほうがいいと、教祖に帰依してそういった行動をとったと思うが、どこか踏み外すことが気付くはずだと、その感覚を大切にしたほうがいいとこういうよびかけをしているということを、獄を出た後に知って、彼の獄中での生き方と非常にに近いと思いました。

正義感が強く、行動力がある人はそのエネルギーが間違った方向に行っちゃうという、そういうことを阻止するのは人間的感化だと思います、ですから教育への強い関心を持ちました。

同志社大学の神学では組織神学でキリスト教の理論の細かい事を教えています。

浦和高校では3年生を相手にユルゲン ハーバーマスというドイツ社会哲学者の「認識と関心」という本を日本語と、英語での読解をしています。

2年生にはユヴァル・ノア・ハラリさんのホモ・デウスを中心にそれに関連した様々な新書たくさん読ませました。  国際的なことに関心を持って進路を変えた生徒もいました。

灘高校の生徒たちが7年続いて私のところに訪ねてきて数時間かけてゼミナールをやっています。 ほかにもいろいろ授業をしています。

自分自身の可能性をあえて低くしてしまっているような生徒が自分の等身大の可能性を観てそれにすこし上積みしていきたいと思うように変わっていく姿を見るのは、高校でも大学でも面白いです。

還暦になったとたん急に元気がなくなってしまう同級生などを観ていると、還暦対策はその10年ぐらい前から人生設計しないといけない、そんなテーマに関心が出てきました。

作品を書いている中から次のテーマがおのずから決まってきます。

再雇用になると貯金を切り崩してゆく人生になると思うと急に不安になってくる。 

会社を辞めて家にいると、それまでは男は昼間はいないという事で成り立っているので、突然昼間にいると家庭という有機体の中では異物ですからはじき出されてしまうので、早いうちに知っておいたほうがいい。  家庭の中の言葉使いには気を付けたほうがいいです。

もし私が外務省に勤め続けていたら、定年の壁はなかなか乗り越えられない大変な壁として立ち向かったなあと思うと、私が「50代からの人生戦略」を書いたほうがいい仕事ではないかと思えてくるわけです。

分野の違う人との対談、それによって考えるきっかけを得られる、考え方がどうまとまってゆくかという事のプロセスを読者に提示できる、こういうところは対談本の魅力です。