小島理恵(ガーデンキュレーター) ・【私のアート交遊録】人の心に宿る庭を目指して
小島さんはガーデンデザインから施工、手入れまで一貫して行うというスタイルで庭つくりにあたっています。 とりわけ科学的な農薬や肥料を使わないというのが小島さんの基本です。 個人の庭から地域の公園、ミュージアム、マンションの植栽管理、環境保全のシンボルともいえる里山の保全など多岐にわたる小島さんのガーデニングにかける夢を伺います。
キュレーターとは学芸員という意味と編集者的な意味がありますが、編集者に近いと思います。 日本庭園では職人さんに任せるような形ですが、お客さんと職人と環境、植物をうまくフィットさせてゆくような役割という感じです。 ガーデンキュレーターは私が勝手にくっつけました。
「オーガニックなガーデニング」は科学的な農薬や肥料を使わないという方針で進めています。 漢方薬を農業用にブレンドしたものがあり定期的に散布してゆくことで病害虫を防いでゆくやり方をしています。 コロナの影響で家庭菜園が増えてきました。
横浜出身ですが、祖母と同居していて畑仕事、庭でバラを育てたりするのが好きで手伝ったりしていました。 結果的には今につながっていたのかもしれません。 女子高だったので先生などからは専門職を身に付けなさいというような事を言われましたが、環境保護ブームがあり環境の勉強をしておこうと思って、信州大学農学部森林科学科に行きました。
夏休みのアルバイトは山小屋でずーと過ごして、冬はスキー場でアルバイトをして毎日スキーするとかしていました。 早寝早起きになり朝日を浴びることができました。
4年生では研究室に行き、午前中勉強して、昼はおむすびを車で出かけて雑木林で焚火しながらおむすびを食べて戻ってきて論文を書くなどしていました。 テーマは人工林が問題になってきていて、里山の部分が荒廃しているという事が問題になっていましたので、そういう問題に対して違う価値を見出すことができないか、という事を考えていました。
一回人が手を入れたら必ず最後まで手入れし続けなけらば行けないという事も学びました。
卒業後、バブル崩壊で氷河期になり、先輩を頼って造園会社に来ました。
ほとんどが男性で作業着も一緒ですごく嫌でした。 ガーデニングブームもあり、ニーズが出始めていましたが、ニーズに合わせられないという事に対してはめんどくさいという事で疑問を抱きました。
会社を辞めてからイギリスに毎年一回ぐらいいって、土、気候、建築、庭などを見て回りました。
花屋さんでアルバイトをしながら、インテリアの学校に行っていました。
部屋の中と庭とがマッチングしていないことにはどうにかならないかという思いがありました。
ガーデンキュレーターによる里山再生事業という形で、友人たちとアイデアを出し合って事業化しようという事で始めたところです。 邪魔だから伐採するとかではなくて、治山的なこととか景観的なバランスを考えたうえで事前にちゃんと手入れをしてゆく事、資金をどう集めるかなどを考えています。
里山を手入れしたところで儲かるのとかあり、皆さん手が出せなかった。 お金ではなくて違う意味のこととうまくリンクさせて環境に関心を持っていただくとか、手入れをして保っていければいいのかなあと思います。
スクール事業も来年始めようと思っていて、各都道府県に最低一人5年以内にいるようにして、少しずつ広がって行くのが夢です。
世界のガーデナーは異口同音に二つのことを言っています。 ①花を作るということは大地に絵を描く様なものだが、自然のリズムと一緒に呼吸を合わせることによって、思い描けるような花の世界が出てくる。 ②自然に対して敬虔な気持ちを持つことによってどれだけ私たちは救われたかという事を言っています。
草花の寿命は短いが、今から自分が植える樹木は全部自分より後の時代まで生きるという事を思って、その木がいかに長く元気で生きてくれるかという状況を整えてあげて、共に暮らす方たちがいつも目をかけてあげたいような気持になるような仕事をしていかなければいけないと思いました。
秋はリスタート、リニューアルするのに一番いいです。 枯れるリスクが少ないので秋、冬にやるのがいいと思います。
お薦めの本「園芸家12ケ月」 カレル・チャペックの著書 共感する面があると思います。