落合恵子(作家・児童書専門店主宰者) ・【ママ☆深夜便 ことばの贈りもの】
今年落合さんにエネオス児童文化賞が贈られました。 児童文化の発展に貢献した人や団体に贈られる昭和41年以来の長い歴史を持つ賞で、落合さんは長年にわたって子供と本の掛け橋となり、自らも絵本の翻訳や創作をするなど精力的に子供の文化の発展に力を尽くしてきたことが評価されました。 民放のアナウンサーだった落合さんが児童書専門店を開いたのが1976年、そこに有機栽培野菜の販売コーナーを作り、自然食レストランを始め、ついにはオーガニック雑貨や衣類の販売まで、自分がどうしても欲しいものが無かったら自分が作るしかないと45年の間に活動の分野を広げてきました。 一方プライベートではシングルマザーとして落合さんを産み育てたお母さんを介護の後看送り、又この数年友人たちを看送ることも増えて来ました。 自らの最後を意識するようになった今、ご自身の人生を振り返って子供たちに伝えたいこと、残したいことを伺いました。
児童書専門店を開いてから45年になります。
元々出版社に入りたくて試験を受けましたが、全部失敗して最後に入社できたのは民放のラジオ局でした。 当時TVが上がってきてラジオが下り坂でした。
いろんな仕事をしたりいろんな人との出会いがあり幸せでしたが、女性のアナウンサーの珍しい時代でした。 報道をやりたかったが駄目でした。 海外の取材、雑誌の取材などもさせていただきました。
海外では古い子供の本屋さんがあり、本を読んだりしているところを見ると、文化のスタートってこんなものだと思ったが、日本にはありませんでした。 自分がどうしても欲しいものが無かったら自分が作るしかないと思って、やろうと決めました。
エッセー集「スプーン一杯の幸せ」出版して大勢の方に読んでいただいて、これが私の子供の本屋さんの資金になっています。
環境問題も含めて考える若いお母さんが出現してきて一緒に勉強会などやりました。 絵本の店から、水、有機栽培農産物の販売、自然食のレストランを作って、安心なおもちゃ、女性の生き方を扱った本もあり活動もどんどん広がっていきました。
子供の時に母は仕事を持っていて、ゆっくり向かい合う時間がなかったので、寝る前に一冊必ず読んでくれましたが、とっても幸せな時間で、あの時間をもう一回シェアしたいという事もあり、大人になって絵本を読み返してみると新しい発見がありまして、大人にとっても意味がある本だと思いましたし、3年で終わりといっていたが、やりますと続けたのかもしれない。
「スプーン一杯の幸せ」の印税をいただき、信じられないお金が入ってきて、これは使わなければ間違っていると思いました。
母を7年間介護して、そのことは「泣き方を忘れていた」という小説にしました。 新聞連載では書けないものがあり、しかし介護の現実の中ではとても大事なことなので書かなければいけないと思っていて、それを書いたのがこの小説です。
母とはともすると濃密になりがちでしたので、お互いに精神的な距離を取ろうとしました。母が認知症になったときにもっと近くにいたかったので、手をつなぐとか、家で私が看させてくださいという事に結び付いたのかもしれません。 母のそばにいたいと思いました。
母の背中を洗っていたりすると「ありがとう」と本当にありがとうという感じで言っていました。 「悪いね」とか「大丈夫」とか言っていました。 母の世代は大変なことでも「大丈夫」と言って、自分にも言い聞かせることで乗り越えてきたのかなあと思います。 「あなたのお父さんにあたる人が大好きだったのよ」とも言っていました。
当時母はシングルマザーなんて言う言葉は無くて、後ろ指を指されて生きてきましたが、その私生児が婚外子という言葉になったりほかの言葉に替わったが、社会には差別とか偏見があります。 偏見がある限り私は私生児、婚外子ですと言い続けます。
「明るい覚悟」 最後を考えることを含めて、可能な限り自分で決めてゆくと考えることによって、明るく軽やかな覚悟になるのではないかという思いで、書きあげました。 いくつかの絵本の内容が差し込まれています。(飛んで行った風船は、ベンのトランペット、アフリカ系アメリカ人のことなど)
子供の周りにどんな大人がいるか、それ自体がもう一つの環境問題だと思っています。
今主宰している子供の本屋は5万冊ありますが、それはほとんど目を通しています。
本というのは本と人が出会うだけではなくて、一冊の本の中で人と人とが出会う事も出来るのが本の素敵なところですし、何百回も読み返してほしい。
「7世代先の子供たちのことを考える」これは、ネイティブ・アメリカンの教え。 ダイヤモントーヤさんが日本に来た時に言った言葉で、「7世代先の子供たちのことを考えなさい。どんなに便利でどんなに効率的なものでも、これを選択したことによって7世代先の子供たちが苦しむことは絶対してはいけないよ」と言われたと彼女は言っていました。
「行列ができていて並ぶと何かが手に入るが、その時にほかの人を押しのけて一番前に行こうというのは人間として恥ずかしいいことだと知りなさい。」という事も教わってこられたという事でした。
血の縁だけがすべての体験の原点かというとそうでもない部分があると思う。 私は彼ら彼女たちの母ではないけれど叔母的な存在にはなれると思います。
75歳になりましたが、自分が想像していた老いと違います。 老いるという事は何かを失うものでもあるが、何かを獲得することでもあるので、この両方を持って生きているのが私の老いだと思うし、最後の日々を迎えるまで可能な限り私はなりたい私に向かって歩いていきます。 それも私の「明るい覚悟」かなと思います。
私の好きな言葉で「私の後ろをついてこないでください。 私はあなたをリードすることはできません。 私の前を歩かないでください。 私はそれに従うことはできません。 私ができるのは隣りあわせに、こういって一緒に歩いていきましょう。」という言葉で、リードするわけでもなく、従うわけでもなく一緒に歩いていこうよ、それかなあと思います。