2020年9月1日火曜日

山本 學(俳優)            ・【わが心の人】俳優 森光子

 山本 學(俳優)            ・【わが心の人】俳優 森光子

森光子さんはライフワークである舞台、放浪記、この舞台で2000回を超えるロングラン公演を達成しました。   日本のお母さんとしても親しまれ、2009年には国民栄誉賞を受けています。   2012年11月亡くられました。(92歳)   俳優の山本學さんは放浪記の舞台で森光子さんと長く共演されました。

私は83歳になりました。  森さんは元気であれば今年100歳の誕生日を迎えるはずです。

森さんは本当に人に対する気遣いが深い方でした。 僕は新劇からはいりましたが、最初は役者になる気はなくて舞台装置をやりたくてこの世界に入りたかったんですが、東野英治郎さんに相談に行ったら、シェークスピアも読んだこともないのに、舞台装置なんかやるなんて考えるな、俳優座の養成所に入れ、とにかく試験を受けろという事で結局入ってしまいました。

人を観て過ごしてきて、そういうことが森さんの芝居に出て、森さんを観る一つの礎になったのかなと思います。  

放浪記で一緒になったのが昭和62年11月からで、役は安岡信雄という事でした。

森光子さんに一生懸命尽くすがあまり相手にされないという役でした。

それなりの人間像は頭に浮かぶんですが、どうしてもそれができないんですがという風に言っていたら、森さんはいいと言ってたわよと下宿のおかみさん役の人から言われました。(森さんからの根回しがあったようです。)

森さんの細やかさに吃驚しました。

22年間役を続けてこられました。

2000回までやって最後のあいさつで、私は「長い間ありがとうございました」と言って、森さんが次に挨拶するわけですが、「私はそうは思わないんです、私は申し訳ないけどあれだったらやります。」と言って、僕は仰天しました、その時森さんは89歳でした。

2000回の一年前に森さんは凄く体調が悪くてもやり遂げられて、2000回の時には見違えるように元気になりました。

僕は2000回で降りることにしました。

でんぐり返しがうまくいかなくなって、森さんやめてくださいと言ったら、辞めないと言っていましたが、87歳の時からでんぐり返しの場面が万歳三唱に替わりました。

2012年11月に92歳で亡くなられましたが、弔辞を呼んでほしいといわれて、読んで持ち帰ってしまいました。

「・・・あなたはもうこの世にはいらっしゃらないんですね。  どうしても信じられませんというと、「そうよ私はもういないのよ、でもね今日は皆さんのために一日だけ帰ってきたの」と言ってその辺から出ていらっしゃるような気がします。  そういうおちゃめで人を驚かすことがお好きでしたね。・・・・大先輩なのにいつも対等に話をしてくださいました、そのことは私にとっても大きな教えでした。  ・・・「どっこいしょ」と言って座ったら山本さん「どっこいしょ」はいけません、「イエイ」とおっしゃいと言われ、イエイと言って立つことはできてもイエイと言って座ることはできないですね。  人から森さんってどんな方かと言われるとよくこの話をしました。・・・この人は本当に人間が好きで体の芯から女優さんそのものだ。  私なんて足元にも及ばない強い方だと思いました。・・・森さんのTV番組を観ていたら、役者は寂しくなければいけないんです、役者は日常が幸せいっぱいじゃあうまくいかないんです。」  心に残る言葉でした。  いつも冗談を言って明るく話をされていながらやぱり寂しかったんだなあと思いました。・・・放浪記の台詞で言っていました、「文子さん苦労してきたものは自分自身に対して律儀で几帳面なものです。    ただそれが他人にはわからないだけです。    自分の育ちを恨むよりほかしょうがありませんね。」・・・舞台でそのセリフを言うと文子さんはぽろりと涙を流されました。  私が舞台でみた森さんの初めての涙でした。  ・・・天国に行かれても舞台をやり続けると思います。  でも一時10代の少女のころに還り、芝居の事はすっかり忘れて、温泉にゆったり浸かって家族の交流の幸せを心行くまで味わってくだい。 ・・・・・森さん実に多くのことを言葉ではなく身をもって教えてくださってありがとうございました。  森さんに贈る言葉はただありがとうございますという言葉です、「本当にありがとうございました。」           2012年12月7日  山本 學

いろんな大女優とお芝居でお付き合いしていますが、それぞれみんな違うんですね。 普通の人に近い生活感覚のなかであれだけの芝居ができる人の技、を森さんに感じました。

不思議な方だなあと思います。

激しい言葉もパッとできるような、強いものも中に持っていて、そういうことを全部人に見せることを嫌わないというか、舞台のうえでも ぱっとかわれるという、苦労してきたんだなあと思います。