2020年9月22日火曜日

小林克也(ディスクジョッキー)     ・しゃべって歌って50年

小林克也(ディスクジョッキー)     ・しゃべって歌って50年 

小林さんは昭和16年広島県福山市に生まれ、上京後大学で学びながら外国人観光客のガイドをしたり、コンサートの司会をしたりして英語とアナウンスに磨きをかけました。  昭和45年ラジオで初放送以来50年人気ディスクジョッキーとして活躍し続けています。  又ミュージシャンとして俳優としても存在感を発揮しています。

声だけは小さいころから大きかったです。  ディスクジョッキー生活は50年。  ラジオは大好きでしたがなかなかチャンスが来ませんでしたが、いつの間にか10本になりました。

60代ぐらいまでは回顧するのはなかったが、昔の光景を思い描くようになりました。

私の英語はいろんな訛りがあり、日本語も訛りがあり今でもアクセントには自信がないです。

TVは洋楽を紹介する番組で今はBSで放送しています。 あとはみんなラジオで9時間の生放送があり、朝の9時から夕方の6時までで、2回ぐらい寝てしまったことがあります。

音楽は気になる音楽とか好きな音楽しか聴かないです。  深夜便はラジオっぽいラジオだと思っています。 僕はラジオは一人でやるものだと思っています。

音楽でイントロでしゃべるのはイントロを殺してしまうので、よくない、いかに曲を大切にするかという事をアメリカなどでは考えています。  日本ではみんな殺してしまう。

ラジオの時代はずーと続くと思っています。 

ラジオ大阪でラジオ番組「スネークマンショー」を開始、例として「寿司屋日米摩擦」のCD、伊武雅刀さんと2人の掛け合いによるコントを番組の曲間に挟む形式でアドリブがたくさん入ってる。

アメリカの小さなラジオ放送局で好きな音楽を流すことをやっていて、パーソナルでいいなあと思って、あこがれみたいなものを持っています。

ラジオは音楽と違って、かっぱらいはOKですから、自分のアイデアをいいように盗まれたなという事が判るわけです。  オマージュ(芸術や文学において、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事を指す用語)なんだなという風に聞くとみんななんか作品は繋がっていると思います、映画でも小説でも。

1982年に中年バンド「小林克也 & ザ・ナンバーワン・バンド」を結成、音楽活動を始める。 

『うわさのカム・トゥ・ハワイ』 デビュー曲「うわさのカム・トゥ・ハワイ」は日本語ラップのはしりとして一部に評価が高い。

*「美しき日本」 作詞:小林克也  ジョン・ウエインがアメリカをたたえる歌を日本にしたらどうなるのかと思って参考にして地図を見ながら1時間でつくりました。

同じことをやりたくないという思いはありますね。 来年80歳になりますが、仲間とか後輩が病気などで先に逝ってしまうと、僕はやってていいのかなという思いもあります。