2020年9月26日土曜日

いとうせいこう(作家・クリエイター)  ・【私の人生手帖(てちょう)】後編

 いとうせいこう(作家・クリエイター)  ・【私の人生手帖(てちょう)】後編

戦後75年を迎えましたが、平和の俳句の取り組み、NHKTVを良くご覧になるという方ですと「植物男子ベランダー」というドラマの原作がいとうさんのエッセーです。   音楽好きの方ですとリズムに乗せて歌ってゆくラップの先駆けの一人としても知られています。 仏像や文楽、能などの伝統芸能にも精通してその多彩ぶりは周知の通りです。  いとうさんは1961年東京葛飾区で生まれました、1984年大学を卒業後出版社の編集部に就職1986年に退社、TVの司会や音楽、舞台などで活躍、1988年に作家としてデビューしました。  2013年に『想像ラジオ』で野間文芸新人賞を受賞しています。  来年3月に還暦を迎えるいとうさんの人生手帳にはどんな思いがつづられてきたのでしょうか。

父親が俳句の会にも入っていて、観ていましたが句集などをたまに読むことがあり、与謝野蕪村、芭蕉、小林一茶とか読んできて、五、七、五はズバッと言ってきて、僕みたいな気の変わりやすい人間にとっては凄くいいメディアなんです。  金子 兜太さんと出会ってから対談の本を出して、凄く楽しかったです。

5年前から平和の俳句を一般の方から募集、自分の戦争体験、どういう思いでいるかなどが一緒にびっしり書かれています。  花鳥風月だけではなくて、自分の社会的なメッセージも入れられるので、そのことは大きいと思います。

どういう言葉でいえるかという事をとても悩ましく考えています。 説得力は物凄く短いか、ある程度長いかだと思っていて、小説も俳句もやっています。

文字として外にだすときに、「・・・だが」と書いて帰結するときに思ってもみないことを書いたりするときがあります。  柄谷 行人という人は「書くことは生きることだ」とズバッというんです。 生きることは間違ってみたり違う路線にいったり、思いもよらないことが起きるが同様に書くことにも起きる。 平和の俳句は続けていきたい。

生きる命は限りがあるので、その中でどのぐらい自分が人の心の中に奇跡を起こすことができるか、という事が出来ればと思っています。

しゃべるという事は必ず誰かと対面しているので、相手の様子を見ながらしゃべるとか、相手の質問に答えるようにしゃべるとかありますが、書くときには人は横にいないので大きくメディアが違うので、思いもよらないことが起こってくる。

書くことはストレス発散にもなるかもしれないし、自分を深く考えるという事になる。  その時に日記、俳句、エッセーでもいいし、何か自分より外に吐き出してしまうことは大事なんだと思います。

しゃべることは外に向けてしゃべること、自分にむけてしゃべることとに使い分けができると思います。

どこかに自信がないと人は踏み出せないし、新しいことをしようとできないし、人にも良くできないので、自分を自信が持てるように自分に言い聞かせて飼いならします。

40代初めのころに、あさってから本番という時にパニック障害になってしまって、あの時は苦しかったですね。 大竹さんが「公演は辞めてもいいんだ」といって呉れて、「だけどお前が本当に駄目だと言って舞台から降りるときまでやらないか」と言われて、やらざるを得なかった。 薬を飲みながら過ごして、地獄の中で何十日と芝居をやっという事が自信につながりました。 周りからも助けられました。

ラジオのスタジオに入るのは怖かったです。

そうなったきっかけは、大学で教えないかという話があり、1対1で話すのは得意ですが、1対多は苦手で、勉強もしないといけないと思って、「現象学」の本を読んだが1ページもわからないうちに教える時間が段々迫ってきてしまったのが一番大きかったと思います。

もっと自由にしてコンプレックスをなくしたらいいのではないかと言われて、もっと自信を持とうと思って、4年間大学で教えて自分でも払拭できました。

自分でそういった経験をしたので、周りの他人に対しても敏感に反応するようになり、気を使うことができるようになりました。

人間は人間の中で生きているので、生者の声も死者の声も両方とも聞きながら、バランスとして歩んでいきましょうよという事の死者の中には、調子の悪い人、弱者も入っているし、これから生まれる人、ずーっと過去に死んだ人も入っている、そういうもののその総体として人間社会というものがあるんだと、そういう一つ一つのことが自分にとっては無ければそうはならなかったという、不思議な生きていくことの奇跡ですかね、1個欠けるとずいぶん違っていたことがいっぱいあるんじゃないかなあと思います。

今年は2作を書いてしまって、小説でないと言えないフィクションの不思議な世界があるので、そういうものを自分の中で試していきたいと思っています。

音楽と一緒にやるのにふさわしい詩をたくさん書いて音楽と共に人に届けていきたいなあと思っています。