2020年9月23日水曜日

稲垣典年(高知県立牧野植物園アドバイザー)・【心に花を咲かせて】人生150年、理想の植物園をつくりたい

稲垣典年(高知県立牧野植物園アドバイザー)・【心に花を咲かせて】人生150年、理想の植物園をつくりたい 

高知県の五台山に県立牧野植物園があります。  これは日本の植物学の父と言われる牧野富太郎の業績を継承するためにつくられた植物園です。  その牧野植物園に高知の植物の生き字引と言われ、80歳になる今も職員として仕事をされている方が勤続50年の稲垣さんです。 稲垣さんが県立牧野植物園で仕事をすること、仕事をしたり休みの日にはほとんど山歩きをしているという、その元気の元は何なのでしょうか。

日本の植物学の父と言われる牧野富太郎氏を継承するために作られた県立牧野植物園で、昭和33年4月に発足しています。   牧野富太郎氏は昭和32年に亡くなりました。

父親が教師をしていて、私は1940年生まれで、牧野植物図鑑が出たのは1940年10月3日に初版が出て、記念に初版で購入しました。  美術を高校までやっていて理系が得意でして、昆虫、植物など興味を持っていて、登山もやっていたのである程度植物のことを知っていたので京大に入って、その後東大に行くように言われて、1年足らずで国家公務員の試験を受けて文部技官として6年いました。 

植物園に勤務していたが、高知に来ないかと言われて1970年4月に行くことになり、「日本一小さい植物園だが世界に通用する植物園を作り上げてくれ」という風に言われました。

今は20ヘクタールありますが、当時は3ヘクタール足らずでした。

海外を含めて色々な植物園を見に行って調べて、漫画家の横山隆一さんとかはらたいらさんとかと話をして構想を考えました。  

構想を提出したら当時の5代目の園長がいいと言ってくれたが、お金の関係で出来ないという事で、その後少しずつ提案を重ねて、20年ぐらいして県がとりあげてくれましが、財政課などもとても無理だといわれてしまいました。

高知県では植物園を表に出そうという事になって始まりました。 できたのが1999年の11月1日でオープンしました。 その間に担当部署がいろいろ変わってしまってその都度ゼロから説明しなくては行けなくて大変でした。

一般の人に美しいと思ってもらうためには、春には60種類の野生のつつじ、秋だったら100種類の野生の菊を調べて、日本の野生の植物という事を基本に置いてやりました。   僕の現役のころは購入植物はゼロで、時間はかかるが全部採集品です。  牧野植物園をベースにした考え方で裏日本にもいくつか植物園ができました。  各地域で各地域の絶滅危惧種といわれる植物を植物園で保存するという事を考えるようになってきました。

自然風にしてゆくほうがいいと思います、自然に近い状態で集約して見られるという形を求めています。  最初は手間がかかるかも知れないが、落ち着いてくるとお互いが助け合う形になってくれると思います。

人間が改良した植物、園芸品種は極力避けてはいます。

牧野富太郎がかかわったり、命名したりし植物を集めて自然風に見せて、それが8ヘクタールで まだ2/3残っているのでそこをどんな形にするか、考えています。

日本の植物は圧倒的に種類が多くて、五台山の200ヘクタールにシダ植物が100種類ぐらいありますが、アラスカでシダはたくさんあるが、あの面積で種類は50種類ぐらいです。

最近では高知県の植物誌を作るのに10数年かけてやりましたが、そのために高知県の各地域を歩きましたし、帰化植物の調査などもしました。 帰化植物の調査では最初の調査と比べて倍ぐらいの種類が出てきて、量も倍ぐらいになってきています。

牧野植物園に来れば、シーズンごとに判りますよという展示をしていきたいという事です。

植物は本当にバラエティーに富んでいて面白いです。

年ごとに同じ日同じ場所へ行きますが、いろんなのに出会います。

コウロギ蘭は牧野富太郎が見つけて長い間そこにしかないといわれていたが広い範囲で見つかりました。

植物園には週の半分で、あとの半分は山に出かけています。  54歳の時に心臓を取り出して手術をするという大掛かりな手術を12月15日にしましたが、1月25日に退院しました。散歩していいといわれて病院では階段の上り下りをして足を鍛えて2月には山に行きました。8年前に牧野富太郎の生誕150年祭をやりましたが、その時に若い同僚の女性が「稲垣さんは150年祭を自分でやりなさい」と言われ、死ぬ暇がないという話をしたことがきっかけで「50歳までが少年、100歳までが青年、150歳までが壮年、150歳過ぎたら老年」というふうな言葉を作りました。

牧野富太郎は沖縄以外は行っていて、同じコースを同じように歩いてみたら面白いのではないかと思って、今も牧野富太郎が確認した植物があるかどうか、そんなことを想像しながら歩いたり、スケッチも絵描いているのを見つけるのも面白いと思いますが、同じところに行っても大木があったりして見えなかったりするが、牧野富太郎の追体験するわけですが、参加者は喜んでくれます。

牧野富太郎は94歳で亡くなりますが、ごく近くまで山に行っていたと思われます。

自然界では地域を代表するものが一年中咲いています、必ずどっかに一輪でもいいから咲いているという植物園になれば最高だと思います。