2019年1月9日水曜日

真壁伍郎(新潟いのちの電話元理事)    ・いのちに寄り添う

真壁伍郎(新潟いのちの電話元理事、新潟大学名誉教授)    ・いのちに寄り添う
新潟県の自殺者が余りにも多いことから、孤独や不安に悩む人の電話相談事業「いのちの電話」を日本で初めて始められたドイツ人宣教師ルツ・ヘットカンプ女史らとの繋がりの中で、「新潟いのちの電話」を立ち上げて苦しみ、悩みながら電話をかけてくる人達と向き合ってきました。
又自宅の一室を開放して野の花文庫という家庭文庫を開いて、子供たちや若者たちとの読書会等も長年継続して開いてきました。
真壁さんは読書会やいのちの電話の活動で、周囲の人達に手を差しのべながら、私達は支え合って、みんなで生きて行こうと呼びかけてこられました。
最近は真壁さんがヘッドカンプさんに頼まれて翻訳したドイツ語の本「わたしはよろこんで歳をとりたい」が老いを生きる心持を深く伝えて静かな共感を呼んでいます。
あわただしく時間をこなしていないと、自分の存在も危うくなるかの様な今の時代ですが、人と人が肉声で答えあい、息使いを感じながら時を共有し、そばにいるこのことの大切さを真壁さんは伝えたいと言います。

「わたしはよろこんで歳をとりたい」ドイツのイェルク・ツィンクさんの著書。
それを翻訳したのが真壁さんです。
心の安らぐ本になっている。
日本でいのちの電話を始めてくださったルツ・ヘットカンプさんという女性の宣教師さんがいて、その方が一昨年に電話下さいまして、私に訳して欲しいという電話でした。
日本では歳を取っても頑張れ頑張れで、歳を取ったらもう頑張らなくてもいいという事をこの本から知ってほしいということでした。
ドイツから本が送られてきて、見て身につまされる事がいっぱいありました。
日本の言葉で自分なりの表現したいと思いました。(翻訳ではなくて)
訳してプリントアウトして送ったら反響が大きかったです。
コピーして色々な人に配りたいと言う事でジワジワと広まっていきました。
絵本のような感じです。
すべての人に一緒に生きて行く喜びを伝えたいと言うのが、イェルク・ツィンクの基本的な考え方なんですね。
平易な言葉で語りながら、老いとは何かなどを語りかけている。
版を重ね、ありのままの自分を生きて行っていいんだと言うのが、最期の版に成ってきている。

新潟の高齢者の自殺が多いが。
その本の一節に
「どんなに良い日でもやがて夜は来る、足がいう事を聞かない。
正直に言ってよい、もう駄目だから助けて下さいと。
一日が長くてそれが苦労ならその時こそ、一息ついて静かにそのままでいる事。
ちょうど水の流れのほとりに立つ木の様に。
私達はなにも勇者である必要はない、嘆いても結構。
ただ知っておいていいのは、絶望するような事は決してないという事。
そして夕暮れになっても心臓の鼓動が続いている限り、誰もが愛し愛されることを恥じてはならないという事。
老いたものも心の温かさを求め、優しさと見守りの手を求める。
私達老いたものはそれを恥ずかしいと思う必要はない。」
70歳を越えた人達の自殺が女性の自殺の4割を占めている。
若い時は働き者で人様の為になって働くと言う事が習い性になっている。
秋田、青森、岩手という自殺の多い県はおそらくに同じ様な背景を持っていると思うので、この本を読んでこの一言をお伝えしたいと正直思いました。

自殺が新潟に多いという事は知っていたが、どんなふうに考えたらいいか私自身判らなかった。
互いに支え合うために何をしたらいいのかという事を、人間の基本として求められているのはないか、そんなことを思ってナイチンゲール等看護の大先輩達の本を読んだり考え方を調べてゆくうちに、見捨てられた人達のそばに寄りそっている姿に目を開かれました。
父が教師をしていたが、寝たきりになり、母が看取りをしていました。
私は何かしなければいけないと思って、1週間に一回、髭を剃ってやり、爪を切ってやり、その後に父に自分の思い出を語ってもらう事にしました。
おいたち、親の事、教え子たちの事など、どんどんカセットテープが積み重なっていきました。
或る時、父は思い返しているうちに、同僚、教え子たちに支えられている自分を発見したんでしょうね。
私にとっては感動でした、これ以上聞く必要がないと思いました。
やがて亡くなる時に父は目を大きく見開いて、その時母は「また一緒になりましょう」といったんです。
それは衝撃と同時に、この父と母がいるから、私がいて兄弟たちがいると言う事を思い知りました。

新潟の自殺について、話を聞き人生のストーリーをなぞることでもって、お手伝いが出来るんじゃないかと思いました。
東京いのちの電話の講師の方にヘットカンプさんがいて、紹介して貰いました。
いのちの電話、聞くと言う事が大事です。
問題解決ではなくて如何にその人の人生に共感できるか、その人の人生を尊敬、認めた時に心の通じ合いができると思います。
顔が見えないだけに、言葉が出てこないそれを待っている、泣いている人もいる、その時ちゃんと待てるということですね。
カウンセリング、技法としてやってしまうと、それはちょっと違うんじゃないかと思います。
「おしゃべりに費やす人は、黙っていると裸の自分が見えるからおしゃべりしている。」
という神谷美恵子さんの訳された ハリール・ジブラーンの詩があります。
本当の意味での思いは、語り又聞くと言う社会からどんどん遠ざかってきていると思います。

相談員はそれぞれの思いを持って電話に立っていらっしゃるが、その事が尊いと思います。
お互いに成長させてもらっているのが、いのちの電話ではないかと思っています。
ルツ・ヘットカンプ先生は大変面白い先生でした。
1933年に生まれて、10歳の時に住んでいるところが瓦礫中に埋もれてしまう。
自分も命がないと思っていたのが助けられた。
私が生きているのは私の命ではない、与えられた命なんだと、それがヘットカンプ先生の基本になる訳です。
ドイツの少女たちが聖書を学びながら人生の生き方、さまざまな問題を考えていけるような運動の一員になられる訳です。
フランクフルトの駅に一群の夜の女の方が立っていて非常に気になって、その方々と友達になり助けられたらいいなあと思っていて、日本からたまたま、そういう人達の助けての応募がありました。

家族の反対があったが船で日本に来て、日本語を勉強しながら自分の仕事を始めようとするわけです。
日本における夜の女の人とのかかわりをどうしたらいいか判らない状況になって、今後やっていけるのだろうかと立ちつくしていたら、「清しこの夜」の曲が聞こえてきて、私がここに立ちつくしている、ここにキリストはおいでになるんだと思った時に、急に慰められ、勇気が出てきて協力する人が表れてきた。
経済が発展する中、夜の女の人との関わりが少なくなるなか、コンタクト取るためには電話がいいのではないかと思い立つ訳です。
或る時、もうやっていけないので死ぬと言って電話機を下ろしたが、ヘットカンプ先生は探しにいってその女性を助けた。
それから電話の重要さを思い、周りに呼びかけ1971年にスタートした「東京いのちの電話」なんですね。
それがあるから「日本のいのちの電話」が今あるわけです。

帰国されてから後に、ヘットカンプ先生は2回日本に来ましたが、私の家に泊っていただきました。
野の花文庫は子供達に大人気で読書会を行いました。
読書会は1961年からスタートしました。
毎週土曜日の午後ここを開けます。
2時から読書会を始め、私と妻が本を読んでいます。
本を楽しんでほしいと思います。
子供達は詩が好きで、詩を文学にまで変えているのが昔話です。
「多くではなく、深く」 本を読む時にはそうしましょうと言っています。
100人いれば100人通りの世界の見方があり、それを一人ひとり尊重されて行くという事、そこに一緒に生きてゆくことの素晴らしさがあるのではないか、そこには寛容、忍耐が必要だと思います。