2019年1月10日木曜日

眞野豊(広島修道大学非常勤講師)     ・"人づくり"で目指すLGBT差別根絶

眞野豊(広島修道大学非常勤講師)     ・"人づくり"で目指すLGBT差別根絶
当人もLGBTの当事者です。
大学を卒業後大学院に進み、同性愛を専門的に研究するゲイスタディーズを専攻、その後中学校の教員として 6年間ゲイであることをカミングアウトしながら教壇に立ち続けました。
教室から差別をなくしたいと、マイノリティーへの理解を深める授業なども数多く行いました。
そして再び大学院で研究を続け、去年の春からは大学で教員志望の学生達に性の多様性を伝える講義を行っています。
LGBTへの差別が注目される中、教育を通して差別根絶に挑む眞野さんの取り組みと思いを伺いました。

性の多様性についてあまり知らないし、むしろ悪いイメージを持っている学生さんが多いと思います。
学校の教育現場については性の多様性、LGBTについて自治体レベルでは研修は盛んにおこなわれているが、全ての教員が研修に参加出来ている訳でもないので、教員になる前にこうしたことを学ばずに、教員になっている方がほとんどなので、理解を示さないという事は現場でも今現在あると思います。
性の多様性について知らずに自分は男らしくないとか、女らしくないとか、同性を好きになってしまうだとか、そうしたことで自分は異常だと思いこんでしまって、自己肯定感が低くなってしまったり、将来自分はどう生きて行ったらいいのか、将来の自分を描きにくい状況もあると思います。
自分では小学校上がる前、女の子と遊んでいるのが楽しかったです。
小学校では女の子と遊んでいると先生が色々言ってきました。
「俺」という表現に抵抗がありました。
小学校5年生の時に性的な面で発達してくると、僕は性的に同性に惹かれているという事を自覚しました。

凄い不安に襲われたのは覚えています。
自分も否定してきたオカマ、ホモという存在が、まさにそうだと気付いて生きていられないと思いました。
TV等では笑いの対象でしかなくて、笑いの対象でしかないのかという狭いイメージしか無くて不安でしょうがなかったです。
性的マイノリティーを理解する人は、見た事も無かったので誰にも言えないと思いました。
中学校でしぐさ、言動が女性っぽかったらしくて、変だと言う事でいろいろいじめがありました。
ストレスから来たのか、平衡感覚が無かったようで床が斜めに成って感じました。
女っぽい言葉づかいと言う事で、ある時期から教室で一切喋らなくなりました。
小学校、中学校、高校と本当に苦しんで、苦しんだからこそ学校を変えたいと思いました。
最短のルートが教師になることかなと思いました。

教育大学の3年生の時に産婦人科の先生が、異常性欲の一つとして同性愛を説明したが、周りの学生がどっと笑って教室が笑いに包まれました。
又学生さんたちが教壇にたったら、またあの差別が広がるだけで悔しい思いと、なんとかしないといけないと深刻に感じました。
ゲイスタディーズという差別と闘う学問があると言う事を知って、広島に学べる大学があると言う事で、北海道から広島に行ったのが今から12年前です。
ゲイスタディーズ、黒人の公民権運動とかが盛んになってきたころ、性的マイノリティー、レズビアン、ゲイの差別に波及して言ってそこから生まれた学問だと言われています。
ゲイスタディーズを学んだことにより、差別に対抗できる知識、言葉を身につけたことです。

子供達、同僚の人にも同性が好きですと言う事を隠さずに働こうと決めました。
トランスジェンダーの子に出会って、或る時相談を受けました。
その子(Aさん)は身体的には女の子で、俺と言ったりボーイッシュな髪の形をして、壮絶ないじめを経験して、中学校でも辛い思いをして転校した子でした。
レズビアンの友達ができたが、中学1年の時にその子が自殺してしまって、教室に入れなくなって、転校してからも教室には入れずに、適応指導室に入ってる状況でした。
Aさんは中学3年の時に私に打ち開けて来ました。
学校に来ることがただ辛いというような表情をしていました。
なんとかしてあげたいと思い、自分の経験の話をしてあげました。
本の貸し出しもしました。(経験の共有)
拒絶をしていた教室へも徐々に入る様になりました。
或る日、Aさんはいきなり怒りだして手がつけられない状況になり早退してしまいました。
次の日に何があったのかを聞いたら、男子の一部がゲイという言葉をつかって馬鹿にし合っていた、からかいあっていたようなんです。
Aさんからしてみると自分を馬鹿にしているように聞こえといっていました。
中学1年の時に友達を亡くしているので、性的マイノリティーを揶揄する言葉には敏感に怒ったと思うんです。
Aさんに対する支援はしっかりできていると思っていたが、Aさんが教室に入った時にまた差別にあっている。
当事者だけ支援しているだけでは、問題が解決しないという事がこの出来事で判って、そこから周りの生徒への指導が必要だと言う事が判りました。
差別は何故起こるかというと、差別される人がいるからではなくて、差別をする人がいるからです。
性は人権なのだと言う事をしっかり伝える必要があると思って、その後授業研究という方向に移動していきました。
性的マイノリティーの差別を道徳でやりたいと提案したこともありましたが、却下されたりしました。
同性愛者の書いた作文を使って授業すると言う事を提案しました。
当事者の気持ちを一緒に考えてゆくストーリーで授業をしました。
ホモ、オカマ等否定的な意味で、からかいをしてきたけれど、こうした言葉が人を傷つけることを初めて知りました、今後は使わないようにしますとか、そういった学生さんがいました。
そういったことを重ねているうちに、人権教育の先生にも情報が言って、研修会でも講演をさせてもらったりしました。

現場だけでやるのは現場しか変えられないので、僕だけでは限界があるので、教員の養成段階でしっかり知識を伝えて行くことが、差別をなくして行くために必要なんだと思って決断しました。
性的マイノリティーの置かれる状況などを学生に提示して、セクシャリティー、性的嗜好なども人権なのだと言う事を学生にも定着させたいと思いました。
学生たちの見方も段々変わって行きました。
福岡県の糸島市の中学校での「人権教育の手引き」84ページの本のアドバイザーとしてかかわりました。
市島市の全教員の手元にあり、この手引きを使った授業が市島市の全ての学校で行われます。
教育は次の世代の社会を作り上げて行く、そういう力がある。
一人一人のセクシャリティーが人権として認められて、一人一人が自分が思い描く人生を歩んで、幸福な人生を歩める社会が、僕の思い描く未来ですかね。