2019年1月23日水曜日

倉本聰(脚本家)            ・ドラマを貫く精神 2回目

倉本聰(脚本家)            ・ドラマを貫く精神 2回目
倉元さんの代表作は昭和56年から放送されたTVドラマ「北の国から」です。
東京から北海道の富良野の原野に移り住んだ親子の姿を描き続けて、最終作のスペシャル版が放送されたのは平成14年、息の長い人気作品となりました。
フリーのシナリオライターとして数々の名作ドラマを生み出しているさなか、昭和52年に北海道の自然の中へ移り住みました。
又後進の育成を目的に富良野塾を創設しました。
この4月から又ドラマがスタートする等、脚本家の現役として活躍されていますが、一方でこの15年ほど取り組んでこられたのが、小さな点で描く、点描画です。
テーマは富良野の木や森で、木の生い立ちなど想像しながら描かれた細密な作品の中からは木のささやき、息遣いが聞こえてくるようです。
一昨年から各地で行われてきた点描画展、現在は北陸富山市で行われています。
森の囁きから点描画の魅力や木々の何に関心を持つのか、昭和、平成と生きてきた私たちに、木々が教えてくれるのは何なのか伺いました。

昔から絵に自信が無くて、コンテ画を描くことになって、黒澤明さんのコンテを息子さんに見せてもらいました。
自分を奮い立たせる絵だと感じました。
デッサンをする時に絵というのは光と影を書きますが、ボールペンによる太さ、描く密度でグラデーションを付けていましたが、色を付けたくなってやっているうちに、あのような点描画になってきました。
何で点で絵を書きたくなるのかなと考えたら、TVの画素なんです。
絵を描く時は、シナリオと全然違った頭の使い方をするんです。
シナリオは理性脳を使って、絵は感性脳を多く使います。
シナリオを書いていて疲れた時は絵を描くと、非常に頭に中の疲れが別の形になって緩んでくるんです。
ほとんど木しか描きません。
木を見ていると木の履歴が出てくるんです。
木と会話を始めたのは、白樺の木があり、それが冬になると凍りつくんです、コブとか色々あって、必ず毎年同じ顔が出て来るんです。
外人の顔になって出て来る、ロシア人の顔なんです、その顔と話をしてたんです。

木の履歴、どんな育ち方をしたのか、災害があったとか、嵐で折れたとか、肌が面白い、森の木はどんなに肌が汚れても、その美しさを出してくる。
天候により、雨の時等苔の中から思いもよらない色が出て来るんです。
幹が面白い。
絵にはそれぞれコメントがあり、
「雪は無口である、噂話をしない」
「俺は地べたにしがみついて生きた」
根っこはすごく興味があります。
「静寂に音あり、沈黙に調べあり、午前三時の森」
「昨日切られた木の後に、今日ポッコリと穴があき、悲しみ色の雪が降る」
「木は根によって立つ、されど根は人の眼に触れず」
徹底的に根っこを書いてみたかった。
絵はみる人が感じればいいと思っている。
「どうだ最近白内障が進んでしまって、周りのものがよくみえねえ、良いんだ、周りなんて見えなくて、見えてみろ腹の立つことばっかりだ」
「森が眠る時が凍る、俺は冬に溶け森に帰る」

3・11の時に海岸林が全部流されたが、4本の木がのこっていて、根っこまであらわれたが、根っこの末端がお互いの木の根に絡み合っていました。
4本で支え合っていて、これが「絆」の原点だと思いました。
富良野塾で授業をやっていて、木は根っこによって立っているが根は人の眼には触れていない、ドラマを作る時には、根っこは色んな土地土地で育つ、それぞれの育ち方をしてどこか出会う訳ですが、会った時に起きる化学反応がドラマであって、下から、根っこの方から起こって来るもので、君たちは葉っぱをどう茂らそうとか、花をどう美しく咲かせようとか実をどうするとか、上のことばっかり考えていないかと 木を例えにして教えたことは随分あります。
根っこは自分で掴んだ根っこと、人に言われてああそうかという根っこと違うんですよ。
常識というものが文明の進歩とともに複雑に成ってしまって、これが当たり前みたいなことのレベルが上げられてしまう、そこから見る視野と選択肢は凄く狭くなってしまう。
下へ降りた時にはあらゆる選択肢が出来てきて、もう一度原点からものを考える事は思いもかけない新しい道を切り開く、そのことをみんなしていないという感じがする。

江戸幕府が出来た時、明治維新、終戦が日本にとっては大きかったと思う。
僕らは終戦の時に、手を付けられないようなガレキを見てきました。
重機の無い時代にどうやってガレキをどうやって整理してきたのか、ときどき感じてしまいます、汗と涙の苦しい作業だったと思います。
その上をスマホを見たり、ハロウィンで大さわぎする若者を見ていると、突然怒りが湧いてきます、怒ってもしょうがないが。
うちは出版社でしたが、4,5歳ごろから父親に連れられて、山歩きなどしていました。
5歳の頃の写真があり、一緒に写っていた人に中西悟堂牧野富太郎柳田國男
などもの凄い人達で、このころこういう人たりと会っていたのかと吃驚しました。
鳥は小さいころから好きでした。
当時の杉並の善福寺界隈は、藁ぶきの屋根が点々と残る、武蔵野の雑木林が残っていて自然豊かでした。
「どろ亀先生」(高橋延清)という東大演習林に有名な先生がいて親しくしていました。
80歳過ぎてから「二度わらし」と言う事をしきりに言っていました。
もう一度子供に返る。

今は故郷が無くなっている。
「やすらぎの郷」 ふたつのドラマが同時進行する、老人ホームの話としてあるが、そこのシナリオライターが描くストーリとがもう一方のドラマとして進行する。
原風景をドラマとして書きたい。
半分は僕の一生記を書いたようなものです。
何処も昔の景色は無くて、みんな原風景を持っていないんじゃないかと思います。
富良野も変わってきてしまっています。
大切にしたいのは五つの感性だと思います。
桃太郎の話で川を桃が流れて来る表現、僕たちのころは「どんぶらこっこ、すこっこ
どんぶらこっこ、すこっこ」と習いました。
「どんぶらこ」と言うのは可成り川の流れが緩やかで大きな川、「どんぶらこっこ」はもう少し狭く流れが急になる、岡山の山奥では「どんぶらこっこ、すこっこ どんぶらこっこ、すこっこ」と早口になる、急流。
その感性が導き出されるかどうか、今の子供達には五感を働かせないで、視覚から入ってしまっている。
五感を働かさなくなってきている、そこに一番大きな問題があると思う。