高楼方子(児童文学作家) ・【人生の道しるべ】ファンタジーは憧れの中に
昭和30年北海道函館市生まれ、12歳まで函館で過ごします。
その後は東京へ、現在は札幌市て執筆をされています。
高楼さんは昭和62年に長編ファンタジー『ココの詩』で作家デビュー、幼い子供達の為の絵本から長編ファンタジーまで多彩な物語を紡ぎだしてきました。
30年間ロングセラーとなっている「まあちゃんのながいかみ」のほか「へんてこもりのはなしシリーズ」、「つんつくせんせいシリーズ」は高楼さんが自ら絵も描いていて人気の絵本です。
路傍の石幼少年文学賞や、赤い鳥文学賞など受賞歴も多数おもちです。
一回目は高楼さんの子供の頃の思い出、創作の原点、子供達をわくわくさせる魅力的な作品がどの様にして生みだされるのか伺いました。
札幌には30年以上になります。
子供が独立し、現在は主人と二人ぐらしです。
日常は朝の9時半から12時まで、1時半から6時ぐらいまで大体なんか書いたりやっています。
小さいころから本は好きでしたが、夢中になるほどの子供では無かったです。
函館にいたときよりも、東京にいた時の方が良く読んでいました。
小さい頃のことを良く覚えています。
1,2歳の頃の事を何故か覚えています。
道端の水たまりに空が映っているとか、物干しざおの根っこの処に草が生えているとか、母に抱っこされて割烹着のV字型のれんこんレースが、綺麗だなと思ったりしました。
映像として残っています。
或る時これからずーっと学校に行くのかと思った時に、もの凄く自由が束縛されるような気がして、行きたくなくて誰が私がここにいるのを知っているのか不思議でした。
「学校へ行くことが決まっているの」と母から言われて全身から怒りが込み上げてきたのを覚えています。
他の子に比べて良く見ていること、観察する事が多かったと思います。
お茶目な子では無かったです。
自分の人生は作って行くものだと言うようなことわざがありますが、それはすごくうれしいなと思いました。
しかし、種に入っているものが育っていくのかなという気がします。
小さい時のもっていたものが、そのままずるずる引きずって、大人になるのではないのでしょうか。
多少良くしたり悪くしたりするのも自分のせいだったりしますが。
姉と一緒に絵は大好きで、チラシの裏に色んなものを描いていました。
国語が好きで、読むのが好きでした。
小学校4年生の時に話と絵とを描くようになりました。
小学校6年生の時に本(リンドグレーン)を貸してもらって、こんな面白い話があるのかと思って、3巻を読み終わるころに、この人が書かなければこの本は無かったんだと言うことに気がつきました。
誰かが書くとその世界が出来るんだと言うことに気が付いて、自由だなという事を思いました。
その時に自分でも文字にして世界を作ってみたいと思いました。
4巻目を自分でも書きたいと思って、書き始めたがうまくいかなかった。
その後良く考えて書くようになりました。
わくわくすることを、どのように展開させてゆくかはひとりでには出来ない。
大変良く考えます。
長編だと細部までは判らないが、大枠は最期まで決まっています。
読んでいる本の一節だったり、面白いと思ったりした時とか、絵を見てる時などに、自分の中にあるものが眠っていたものが揺り動かされるように、これを書きたかったのかと段々膨らましていって、どのような話にしていくのか、時間の流れを文字で並べて行って、絵も描いたりして、目に見えるようにして行くわけです。
日常を幾つも幾つも書いたような話は比較的楽に書けますね。
長編だと主人公が12,3歳なので自分の子供の頃の事を思い出したりして書きます。
4,5歳の頃向けだと、それは小さい時の記憶が多いから、凄く助けられます。