2019年1月3日木曜日

関野吉晴(探検家・武蔵野美術大学教授)  ・我が"探検家人生"の半世紀

関野吉晴(探検家・武蔵野美術大学教授)  ・我が"探検家人生"の半世紀
東京生まれ70歳、探検の始まりは一橋大学時代、20歳で探検部を創立、一年間休学してアマゾン流域をたずねました。
その後横浜市立大学医学部に進み、外科医になってからも病院勤務と探検を繰り返しました。
或るイギリスの考古学者が、人類誕生の地アフリカから南米に至るまでの、人類の拡散の道と旅を、グレートジャーニーと名付けましたが、関野さんはその道を遡る旅を44歳から10年かけて成し遂げました。
2002年から武蔵野美術大学で、文化人類学人類史の教授となってからも、探検を続けました。
その中でも新グレートジャーニーは、日本人のルーツを探る旅で、海上ルートなど3方向から探検しました。
探検人生への思いや、今後の夢を語ってもらいます。

高校生の頃探検に興味をもちました。
大学に入ったら親に勘当されてもいいから、自分をそういう身におきたいと思って、探検部を創設して1年間休学してアマゾンに行きました。
直行便が無いのでカナダ経由か、アメリカ経由で行くので24時間ぐらいかかってしまいます。
行先は何処でも良かったが、他の学校の探検部と交流したり、山にも登らないといけないと思っていました。
飯山達雄さんというアマゾンに長期滞在したことのある写真家がいまして、アマゾンの面白さを何回も話を聞いて、早稲田の探険隊では世界で一番長い川ナイル川の遠征を出していて、僕たちは世界で一番大きい川アマゾンをやろうと言うことになりました。
最初はアマゾン川の河口から一番遠いところから下ろうと思いました。
だんだん流れが緩やかになると退屈との戦いでした。
興味の対象は冒険ではなく人間だと言う事が判ってきて、思いっきり我々とは違う、文明とは接触した事の無い人達と、出会いたいと思いました。
情報収集しながらブラジルまで行きました。
奥地までいける材木商人に連れて行ってもらって、アシャニンカ族と言う先住民の居る所に3か月居候生活させてもらいました。

翌年又でかけて、その時にはマチゲンガ族という人達でした。(1973年)
そこの家族とはいまだに付き合っています。(5世代になります。)
物質的には貧しいですが、競争しないので優しい、とにかく時間がゆったりと流れていて、幸福さはものだけでは測れないと思う。
とにかく平等で獲物を取ってきたら、車座になってみんな一緒になって食べるんです。
土地についてはこれは俺のものだとは言わない。
彼等の家に入って見渡すと、いろんなものが置いてあるが、素材の判らないものはない。
彼等は全部自然から素材を取ってきて、自分で作るものしかない。
写真を撮ってきて日本人に見せると、「なにを楽しみに生きているんですか」と良く言われます。
同じ問いをその人たちに言うと、最初はなにも言えないがぽつぽつと言い始めて、「家族が仲良くて自分が健康で、隣人達とも関係が良くて、仕事もよく行っていてその仲間とも上手くやっていて、時々映画、コンサート、好きな本を読んだりと、あたりまえなことなんです。
根本的なところをみると、彼らも同じなんです。
男性は狩り、女性は採集ですが焼き畑農業もやっています。
アマゾンはイモを作っています。
食料を溜めこまない、だから平等でいられる。
食料、家畜など溜めこむことによって分業が起こってきて、差別化されてくる。

先住民の処に行くと泊めてもらったり、食べさせてもらう。
繰り返してゆくうちに、自分の今後の選択肢がいくつかありました。
彼等とは調査の対象として付き合いたく無くて、フッと思い付いたのが医師になることでした。(彼等の役に立つと思いました。)
横浜市立大学医学部にはいりました。
春休み、篤休みに南米に行っていました。
病院勤務する時には一切できませんでした。
一番の教科書は患者さんです。
医療に当たる期間と探検をするスイッチの切り替えが必要でした。(3年単位ぐらい)

或るイギリスの考古学者が、人類誕生の地アフリカから南米に至るまでの、人類の拡散の道と旅を、グレートジャーニーと名付けました。
アマゾンのひとたちは日本人と似ているが、付き合っているうちにいったいこの人達はこんなところまでどうして来たのか、たどってみようと思って始めました。
その人達のルーツをたどる旅を始めました。
家族の反対はもちろんありましたが。
ゴーギャンの絵のタイトルに「我々は何処から来たのか、我々は何者なのか、我々はどこにいくのか」というものがあります。
我々は何処から来たのか→アフリカだろうけれども。
我々は何者なのか→猿との違いが判ると人間の本質が判ってくるのではないか。
我々はどこにいくのか→何処へ行くんだろうかという事を考えたい、そのためには我々はどうすればいいのかという事を考えてみたい。
いま世界で何が起こっているんだろうか、という事をたどる旅でもある訳です。
旅を布を織る気持ちで旅をしていました。
縦糸と横糸が合わさって一枚の布になる。
縦糸は南米からアラスカ、シベリアからアフリカ迄線を結ぶことです。
横糸は寄り道で人との付き合いです。
布は何かというと、いろんな人との出会いによって得たものの見方、考え方です。
気付きをずーっと繰り返していって、自分が変わっていくのが面白いです。
移動には近代的動力は使わない。
一番いやなのは治安の悪さで、いくらトレーニングをしても駄目です。
奥地に行くまでは色々大変です。(警察、軍隊、税関など)

あたりまえなことが大切だと言う事が判ります。
病気になった時の健康の大切さ、水が無い時に水に出会った時の喜び、水の大切さが判ります。
汚されて初めて綺麗なのが有難いと判るわけです。
失われて初めて気がつく。
自分の足元をみたいと思いましたので、工場で働いたりしました。
①北方ルート シベリア、サハリン、北海道ルート
②中国、朝鮮半島経由でやって来るルート
③南方ルート 海からのルート
自分の腕力脚力だけでやろうと、それが新グレートジャーニーです。
インドネシアで太古の船があったらと思って調査に行ったがありませんでした。
アマゾンを思い出して太古の人のコンセプトと言う事で道具も砂鉄から作り始めました。
たたら製鉄で玉鋼を作り道具を作っていきました。
インドネシアの大木を探して舟を作りました。
学生たちと一緒に舟作りをして1年間かかりました。
インドネシア、マレーシア、フィリピン、台湾、石垣島へとゴールインしました。
日本人は本当に複雑で、いろんなところから色んな人たちが集まって、混血して出来たのが日本人だと実感として判りました。
計画を立てようとしたことは無くて自然と湧いてくる。