2019年1月16日水曜日

先崎学(将棋棋士)            ・うつ病九段、プロ復活までの一年間

先崎学(将棋棋士)            ・うつ病九段、プロ復活までの一年間
1970年青森県生まれ、小学校5年で米長邦雄永世棋聖門下で奨励会に入会、1987年4段になりプロデビュー、1991年大40回NHK杯戦で同い年の羽生善治現九段を準決勝で破り棋聖戦初優勝、2014年に九段となります。
2017年7月にうつ病を発症し、慶応大学病院に入院、精神科の医師である兄のサポートを受けつつ、闘病をうけ2018年6月順位戦で復帰を果たします。
7月に自らの闘病から復活までの経緯をまとめた「うつ病九段」を出版し大きな反響をみました。

本も27冊になります。
「うつ病九段」の後に将棋の本上下巻を出しました。
昔話みたいなものを纏める機会が無かったので、中村太地 氏と『先崎学&中村太地この名局を見よ! 20世紀編』を書きました。
往年の名棋士などを語りました。
羽生さんとか私は大山先生に可愛がられました。
将棋は白星と黒星しかないので、厳しい世界です。
AIが出てきたおかげで純粋な知恵比べみたいな印象を持たれることが多いが、実際は密室で一対一で朝から晩までぶつかり合う格闘技的な空気もあります。
将棋差しは「気合」という言葉を重んじます。(気合いで負けない事)
将棋も芸術的な側面もあって、音楽の世界に似ている感じはあります。

小学校1年生の時に将棋に興味を持ちました。
スキーをやっていたが春になるとやる事が無いので、将棋をやるようになりました。
父親は将棋をやっていましたが、全然強くは無かったです。
兄は精神科の医師ですが、今回の私の病気にはちょうど良く助かりました。
6月22日の誕生日の翌日に変調があり、その後2カ月ぐらいたって入院しました。
30数日入院していました。
8月末に退院して12月、1月になってきたら、まともになって来ました。
そうすると暇になるので(悪い時には暇という事を感じない)、兄から貴重なものだから今回の体験などを纏めてみないかといわれて書き出しました。
軽く鬱っぽい時などと、本物の鬱とはまるっきり違うということは間違いないと思います。
入院中から退院してから1カ月半ぐらいは全く頭が回らない状態で、色んな事を後で聞くと妻と兄で来院して決めていたようです。
妻は囲碁のプロです。

私のうつ病は将棋のプレッシャーでなった訳ではなくて、将棋連盟の全体的な不祥事と私の個人的に関係する映画という華やかな世界、両方をいっぺんに騒いで、午前中は物凄く明るい話をして、午後は凄く暗い密談みたいなものをしなくてはいけなくなって、感情が揺れ動いてそれが良く判らなくなってしまいました。
毎日の様に色んな事が降ってきて、自分の仕事と感情をコントロールできなくなって振り回されてしまいました。
スケジュールをコントロールできなくなると危ないらしいです。
兄からは絶対治ると言われていました。
一般的には絶対とか、100%とかは医者はなかなか言えないが、兄は主治医では無いのでそういう事を平気で言える訳で、こちらとしては有難かったです。
自分自身で出来るだけ外に出て歩い足りして、自分で治すんだという気持ちを持った方がいい病気だと言われました。

或る時からすこしずつ華やかな世界を見ても疲れなくなりました。
鬱が一番ひどい状態の時は何も考えられない、何もできない、活字は一つも読めない、写真なども華やかな色を観ると疲れる世界でした。
少しずつ華やかな世界にも感情が対応できるという事になってきました。
少しずついろんな情報が自分の頭の中に入って来るようになりました。
退院して半月で落語を聞きに行きましたが、全く頭の中で理解できませんでした。
記憶力は鬱でも少し残っていたんで後に書くことが出来たんだと思います。
段々良くなって仲間にずいぶん将棋を指してもらって、意欲が出来た事自体症状が良くなってきたのかと思います。
でも負けると辛いです。
何故か声が大きい人は疲れます。
元気づけようと明るい話をする人も疲れますね。

7,8,9月は悩むことは無くて、灰色の雲の中を延々と毎日いるような感じで、憂鬱とは違うんです。
あらゆることに無反応なんです。
決断力が極度に鈍るらしいです。
あの時少し良くなったなという事は、後になって判る訳です。(1カ月ぐらいの単位)
退屈だという感覚をもてば、症状が良くなってる絶対的な証拠だと、兄からは言われました。(エネルギーが戻ってくる)
症状が悪い時には、暇だという感覚がない、全くもてない。

中学生の時にはいじめに遭いました。
他人とコミュニケーションを持つのが苦手で、クラスになじめなくていじめに遭い、不登校になり将棋をやっていました。
17歳から棋士になって暇になり、その頃本を一杯読みだした記憶があります。
文章を最初に書くようになったのは19歳のころでした。
週刊誌に連載されるようになった最初の3年間はきつかったが、文章を書くと言う事は辛いとは思わないです。
後輩たちを纏めて行く立場になってきたのかと思います。
将棋は集中持続力、根気が必要で若い人に対しては、その辺ではきついところがあります。
自分が病気になってわかったことは、世の中には病気の人がいぱいいるんだな、ということです。