紅谷浩之(在宅医療専門医)・【人権インタビューシリーズ】医療的ケア児にもも"Happy"を
医療的ケア児というのは、タンの吸引、人工呼吸など医療的ケアなどを常に必要とする子供達のことです。
以前は生き続けることが難しいとされましたが、医療の進歩によって医療的ケアさえあれば成長することができるようになったために、医療的なケアを常に必要とする子供の数がこの10年でおよそ2倍のペースで増え続けているという事です。
しかしそうした子供達の多くはケア体制が無い限り、子供時代を特別支援学校などで過ごして、成人したあとも働くこともままならず、病院や自宅で過ごす生活を余儀なくされています。
さらに教育のほか家族をサポートする介護の制度など社会全体の支援体制も追い付いていないのが現状です。
全国でいち早く医療的ケア児を支援する施設を立ち上げた福井県の医師、紅谷さんにお聞きしました。
医療的ケア児というのは病気や障害があって医療的なケア、いろう、タンの吸引、人工呼吸、導尿、栄養の点滴の必要のあるもの、などの子供達です。
人工呼吸器を付けても走ったり、パソコン操作ができる子たちもいます。
サポートする仕組み自体がまだ足りていないという事が現状だと思います。
一般的に19歳までを指しています。
平成28年で医療的ケア児は1万8272人という数字が出ています。
医療の発達があって、今までは命を落としたお子さんが一命を取り留めて、医療のサポートによってしっかり育つようになりました。(増加している)
7,8年前に在宅医療を立ち上げて、在宅医療を始めた時に尋ねてきて、医者と患者という関係で出会いました。
高校3年生の子に対して、卒業後にどうするのか母親に聞いてみたが、「医療的ケア児障害者はデイサービスは非常に数が限られていて、探したがすべて断られました」と言われました。
「新たに離れた病院に入るか、自宅で閉じこもって過ごすかどちらかの選択しかない」と言われました。
当時オフィスビルの様なワンフロアーにマット、ベットを置いて過ごすという事を始めました。
最初彼が週に3日ぐらい過ごす施設として作り運営しました。
福祉施設として経営が成り立つわけがないので、ラボというようなイメージで始めました。
2カ月後には、子供達が5,6人来ていました。
1、2歳~20歳代の人達でした。
全員が在宅医療で私が診ていたお子さんたちでした。
使いたい希望者が他にも沢山いたことに驚きました。
楽しそうに過ごしていることを見て、御家族も喜んでくれて、居場所をつくることに対して最初にきっかけを作ってくれた子は、すごいパワーを持っているんだと思いました。
彼等の強みとかできるところを引き合わせると、こういう場所をつくる勢いを僕たちにくれて、そこに他の子たちが来れる場所も、そういうふうにエネルギーを発散する力がこの子たちにあるんだと気が付いて、この子たちに何かをしてもらいながら、僕たちも含めてみんながハッピーになるような仕組みを、一緒に考えていけるきっかけになるんだと思いました。
看護師のほかに保育士も入ってもらって活動の幅が広がって行きました。
今のケアラボは一軒屋の民家を借りて、畳の部屋を中心に30人ぐらいが登録されていて毎日来るのは10~15人が来て居ています。
スタッフも10~15人以上は来ています。
家族の人も、ケアラボに行って成長したわが子を見ると、私が365日死ぬまで一緒にいなくてはいけなかったと思っていたのが、ひょっとして違うのかなと気付いてきて、結果としてお母さんたちが自分のやりたい仕事をやる事が出来るようになったと思います。
ここのケアラボのお母さんたちは仕事に就いている人が7割になります。
全国の似たような施設では5%未満と言われています。
この子らも学校に行くことが普通だと感じたので、できる事があればサポートしたいと思いました。
他の子供達が通う保育園に通わせたいと言う希望のお母さんがいて、僕たちのやったサポートは、ケアラボに通ってもらってお母さんと離れた経験をして貰って、どんなサポートが必要か、半年間かかって医療的な事などをを理解して、私たちの経験を保育園の人にシェアして貰って、サポートの手法を段々に移行して、私達の手を段々離して行きました。
小学校に通った事例もありました。(今は3年生)
脳の病気があって気管切開していて、痰の吸引が必要で、身体障害があって右手右足が不自由でまっすぐ歩くことが難しいというお子さんでした。
初めはやり着利していると責任問題などがありましたが、当人が学校に通いたいという事を言って、先生たちも段々動いて行きました。
お互いが医療、教育それぞれが補いながら、やっていこうという事で受け入れていただきました。
子供達は吃驚するぐらい当たり前と、自然に受け入れて行ってくれました。
幼稚園、小学校から医療的ケア児が一緒にいれば、理解の仕方が違うと思う。
医療的ケア児が母親と一緒にいると、ケアを受ける側にずーっといるという思いがあるが、学校など繋がりのある処に行くと、友達とのコミュニケーションとか、地域の理解とか、自分が保育園に通う事でお母さんが働けるようになるとか、役割とか循環が生まれて来るというのは、人としての成長が大きいと思います。
自分の社会的居場所というのを病気の軸だけじゃないところで見付けた彼等は自信を持って過ごしている様に思います。
3年前から軽井沢への宿泊旅行もしています。
家だけではない体験を通して、次にやりたいことに繋がって行くと思います。
今年で4年目になりますが、医療的ケア児が散歩していたりすると、段々違和感が無く声をかけてくれたりするようになりました。
大げさに言うと地域社会を変えていっているような感覚があります。
病気や障害といった課題、悪いところを一個一個潰してゆく作業を続けて居ても、なかなか先が見えなかったりすることが多くなったとしても、何が出来るか何が楽しいかという、いいところを見つけて繋いでゆく作業をして行くほうが、人はハッピーを感じるという事なんです。
繋がりを持つということは重要な時代になってくるので、彼等は軽井沢の事などを通して私達に教えてくれるのではないかと思います。
繋がりと選択肢があるということは、凄く人間として必要だし、みんなが持てればいいと思っています。
医療者という立場で言うと、日本が今世界で一番子供が死なない国、一番子供が死なない国は同時に世界で一番子供が幸せに成長していける国でないといけない思っていて、新生児を専門にしている先生や産婦人科の先生が、頑張って繋ぎ止めた命のバトンを、地域にいる医療者である私たちがそれをしっかり受け止めて、その子たちが本当に生れてきて良かったと思えるような社会をつくることに向きあって行きたい。