2018年12月6日木曜日

杵屋勝国(長唄三味線方)         ・伝統芸能の継承者として

杵屋勝国(長唄三味線方)         ・伝統芸能の継承者として
福岡県出身73歳、幼い時から三味線を習い始め、14歳で名取りとなり勝国の名を許されました。
高校2年生で上京、家元である 7代目杵屋勝三郎さんの元に稽古に通いながら、東京芸術大学を卒業、以後プロの演奏家として活躍しています。
力強く華やかな演奏に定評があり歌舞伎舞踊の出囃子で、立て三味線を務めるなど、長唄界をけん引する存在で、先ごろJXTG音楽賞邦楽部門を受賞されました。

第48回JXTG音楽賞邦楽部門を受賞。
繊細さ豪快さを併せ持つ名人芸、歌舞伎の縦三味線として、長唄界をけん引するという事で受賞。
勘三郎さんご一家とは17、18代目、今回の勘九郎さん、3代に渡って私は後ろで三味線をひかせてもらっています。
17代目は花道に出てくるだけで絵になりました。
18代目は踊りに人間味が出て、彼も楽しく踊って私も楽しく三味線をひかせていただきました。
勘九浪さんの場合は踊りは18代目の勘三郎さんよりはお上手だと思っています。
人間味という意味ではまだ若いので足りないのかなあと思っています。

八丁八舞で今回やりました、丁は三味線のことで(八丁=三味線が8人)、舞は唄(八舞=唄が8人)のことです。
お囃子さんがその前に7,8人でやっています。
立て三味線は中央にいて、重要な役割です。(指揮者のような役割をします。)
私は立て三味線を30年以上やらせてもらっています。
私の掛け声が指揮者の指揮棒の役割をします。
坂東玉三郎さんなどとも舞台で一緒にやらせてもらいますが、玉三郎さんは天才ですね。
テンポのいいのが我々では「乗り」がいいと言います。
玉三郎さんは自分のいいように弾いてくれと言われて、それに合わせて踊るので非常に私はやりやすいです。
玉三郎さんとは35,6年の付き合いでもあります。
玉三郎さんの「鷺娘」、500回以上一緒にやらせていただいています。
18代目は亡くなるのが早すぎました、もっともっといい役者になるところでしたが。
(57歳で亡くなる)
歌舞伎は25日間ですが、自分であー良かったなと思うのは2,3日間しかないです。
欠員になると大変なので、風邪など一番心配しています。

私は三味線は6歳の6月6日から始めましたので66,7年になります。
柳川の隣りの街で料理屋をやっていて、両親が趣味で長唄をやっていました。
唄が父親で、三味線がは母親がやっていました。
隣りが先生の家で週のうちに5日間15分ぐらいやっていました。
子供用の三味線は無くて大人用のを使ってバチは小を使っていました。
中学になるころには、杵屋寿太郎先生の処に1時間半かけてお稽古に行きました。
そのうち、高校2年の時に東京に行くことになりましたが、プロになるということは考えていませんでした。
東京芸大の邦楽科に行くことになり、山田抄太郎先生がいて、人間国宝で文化功労者でその方から習いました。
先生の弾いているものから、こんな素敵な長唄三味線はあるのかと思って、なんかひらめきました。
その時プロになりたいと思っていプロを目指して行きました。
本来は15歳にならないと名取りの試験は受けられなかったようだが、杵屋寿太郎先生の強い後ろ盾で14歳で名取りの試験を受けて、受かる事が出来ました。
14歳で七代目家元、杵屋勝三郎先生より杵屋勝国の名を許される。
杵屋勝三郎先生は財団法人を立ち上げ、その理事長でもありました。
その後私も副理事長になり、杵屋勝三郎先生が亡くなる前に、理事長就任を要請されて理事長になりました。

これからは世の中の常識知り、とにかく基本が大事だと家元からは教わりました。
家元から受け取った事を今度は後輩たちに、正しく伝えようという気持ちです。
邦楽は普段あまり触れる機会がないが、若い人たちに観たりやっていただくしかないです
ね。
学校の音楽の先生たちに三味線を教えて、現物を学生たちに教えていただきたいと思っています。
長唄は長いので、一番短いものでも10分かかり長い曲だと1時間以上のものがあるので、曲のいいさわりのいいところを4,5分に纏めてそれを5曲位にして、短かくしものの抄曲集をやると興味を持ってもらいます。
僕はやはり古典が好きです。
8代目襲名の時には国立大劇場で400名を集め大合奏をしました。
歌舞伎の舞台に立ったり、弟子の指導、色々演奏会もやっています。
若いころはがむしゃらに三味線を弾いていたと思いますが、人生経験を踏むと、人間味のある弾き方はないだろうかと考えまして、もっと深みを研究しようという気持ちになってきています。
芸を研究することは当たり前で満足という事は無くて、今後も芸を研究するとともに、後継者を育てることが義務だと思っています。