2018年12月24日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)          ・【絶望名言】モーツァルト

頭木弘樹(文学紹介者)          ・【絶望名言】モーツァルト
「僕たち家族4人は幸福でも不幸でもありません。
僕はそのことを神に感謝しています。
みんなが健康でさえあればそれでいいのです。
幸福というものは想像の中だけにあるのですから。」 

この番組 【絶望名言】が本になりました。
海外ではクリスマスに自殺してしまうというのがとっても多い。
クリスマスが来たのに、自分の人生には救いがないということに絶望してしまう。
フランクル 精神科医のユダヤ人だったが、アウシュビッツの収容所に入れてれてしまうが、クリスマスには解放されるといううわさが流れる。(根拠は無かった)
クリスマスには解放されなくて、絶望して多くの人が亡くなったと言われる。
私(頭木)は20代から30代にかけては、クリスマスから正月は病院で過ごしていましたのできつかったです。
同じ部屋の人も皆落ち込んでいました。
看護師さんがケーキを持ってきてわけて食べるのですが、私は腸の問題で絶食なので、他の5人は隠すようにして食べるのですが、音が聞こえてきたりして、自分は非常に惨めな思いをしました。

モーツアルトが亡くなったのが、12月5日でその後、作品レクイエムが出来あがったのは、12月10日に初演されて今でもクリスマスコンサートでよく演奏されました。
モーツアルトが生れたのは1756年1月27日 歌麿、葛飾北斎が生まれたころと同時代です。
母親はモーツアルトが21歳の時に亡くなる。
天才少年として有名だった。
成人するころはザルツベルクで宮廷音楽家をしていた。
人間関係の問題で辞めてしまって、各地を転々とするが、神童と言われたころほど注目が集まらなかった。 20歳の時に父親あてに書いた手紙の一部が冒頭のもの。
(姉が一人いた。)

「幸福に生きることは魔法でも使わないかぎりは僕にはできない。」 (翌年親友に宛てた手紙の中から)
父親は同様に音楽の才能があったが、モーツアルトの才能を発見して厳しくしつけるようになる。
モーツアルトは35年10カ月ほど生存したが、10年2カ月ほどを旅の空で過ごした。
父親との旅はこの時初めて一緒に行くことは無くて、母親との旅の中で1年たたないうちに亡くなってしまう。
母親を亡くした悲しみの中、ピアノソナタ 第8番イ短調ケッヘルを作曲する。
短調で書かれているのがこの曲ともう一つ位です。
「この手紙を書いていると涙がぽたぽたと紙の上に落ちた。
でももう陽気にしよう、ほら沢山のキスが飛びまわっているよ。
捕まえて、僕も3つ捕まえたよ、なんて素敵なんだ。」
33歳の時に妻に送った手紙の一節  
*ピアノ協奏曲第26番 戴冠式  
モーツアルトに目をかけてくれていた、ヨーゼフ2世が亡くなって、レオポルド2世が即位することになり、戴冠式が行われたが、モーツアルトは呼ばれなかった。
お金にも困っていたモーツアルトは色んなものを質に入れて、無理やり出掛けた。
自分で演奏会を開いて演奏したのが、この曲だが余りお客さんは来てくれず、その時妻に書いたんがこの手紙なんです。
太宰治に通じるところがあるような気がする。
無理に明るくふるまっていた。
辛い時に元気そうにするのは辛いものがある。
感情労働、表向きと内心が違う。

「死というのはよく考えてみれば人生の真の到達点です。
僕はこの人間の最良の友と数年来、とても慣れ親しんでいます。
その姿はもう僕にとって、少しも恐ろしいものではなく、安らぎと慰めを与えてくれるものとなっています。
僕はまだこんな若いのですが、夜ベッドに入って眠るとき、もしかしたら明日はもうこの世には居ないのではないか、そんなふうに考えない日はありません。」
(30歳の時の父親への手紙  父親への最期の手紙)
*歌劇『ドン・ジョヴァンニ』序曲
35歳でモーツアルトは亡くなる。
ドン・ジョヴァンニは女たらしで、新しい女性の寝室に忍びこんだ所、騎士団長である父親に見つかってしまい、父親を殺してしまう。
ドン・ジョヴァンニは悔い改めないので、本当に地獄に引っ張り込まれて焼かれてしまう。
モーツアルトは放蕩していた。
父親からもたしなめられていたが、モーツアルトは改心はしなかった。

「最期の時を告げる金が成っているのを感じます。
自分の才能を本当に楽しむ前に、終わりが来てしまったのです。
人はだれも自分の人生を思うようにはできません。
ペンを置きます。
これは僕の弔い歌です。」 
(34歳の時にドン・ジョヴァンニ等の台本を書いたロレンツォ・ダ・ポンテに送った手紙  偽物かもしれないとも言われているが
。)
*「レクイエム」 モーツァルトの死により作品は未完のまま残され、弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーにより補筆完成された。
出だしは暗いが重厚感があって訴えかけて来る。
明るい受ける曲を作っていたが、ついに正面から暗い曲を書いたという事もあったの
かもしれない。

*最期に完成されたピアノ協奏曲  第27番 変ロ長調 k.595 第二楽章