福田淑子(歌人・カウンセラー) ・孤独を詠み、歌に生きる
東京生まれ、埼玉県の県立高校で国語の教師として定年まで教え、現在は法政大学の講師として言語、国語科教育法を教えています。
短歌には縁が無かった福田さんは、10数年前に長い入院生活を送った際に、知人の勧めで短歌の懸賞評論文に応募しました。
テーマはふくいくたる反逆斎藤ふみ論、この作品入選は逃しましたが、翌年文芸埼玉に掲載されました。
これがきっかけで短歌をつくる様になり、2007年には「孤独なる球体」で大西民子賞を受賞、去年は歌集「ショパンの孤独」で第13回日本詩歌句協会の短歌部門の優秀賞を受賞しました。
福田さんの短歌の世界は孤独が重要なキーワードです。
歌集「ショパンの孤独」が受賞して以降、見知らない方から反応があって、沢山の方と繋がっているんだなと実感しました。
ベテランの歌人、俳人も読んでくださって、こういう集まりに来ないかと広がるんですね。
一番最近の歌
「魂がモバイル画面に吸い込まれ人が消えゆく帰りの車内」
「生れいずる以前よりある天体の光を受けて一人を満たす」
赴任していた高校にに村永和弘?さんがいましたが、評論集を書いていてそれをくれるんですが、感想をいうために見ざるをえませんでした。(まだ興味が無かった)
大腿骨の大手術をして4カ月仕事を休んで入院していましたので、身動きができませんでした。
村永さんが斎藤ふみさんの全歌集を持ってきて、その方が亡くなられたが、彼女の主催していた結社で短歌評論を募集している、という事でこれを読んで書いたらどうかと言われました。
一席になると10万円貰えるという事で、9000首以上を2,3度読みました。
評論を書いて応募しましたが、受賞には至りませんでした。
もう一度書きなおして、翌年文芸埼玉70号記念号という事で短歌評論を募集していましたので、応募したら見事載せていただきました。
歌も作れる評論家になりなさいと言われて、作り始めました。
短歌朝日に投稿して取り上げられました。
「バッハ聞く死にわたるまでバッハ聞くまだ生きること続けて見るか」?
「いかなれば野の花のごとく柔らかにつゆをいだきてしずまりいるや」?
大々的に取り上げられて有頂天になりました。
2017年「ショパンの孤独」 464首
「身体をぬるるに任せ一筋の我も水脈雨降り続く」
地球は水の星ですが、自分の身体の中にも水脈があり、地球も自分も一つだなあと思う事によって地球と一体感を持てる、雲や空と一体感が持てるということは私のカンフル剤なんです。
「グールドのピアノ骨身に沁み渡り我37兆細胞淨化す」
「37兆細胞のざわめきてカチカチは円る音が聞こえる」
ミクロになったり、マクロになったり、視点を変えると、スーッと呼吸ができる。
グレン・グールドというピアニストが、ゴルトベルク変奏曲というとっても素晴らしい演奏をしていて、それを聞いていると骨身にしみるだけでなくて、細胞全部が洗われて生まれ変われるという気がしてくる。
37兆ある細胞が一個一個跳ねているのではないかと思うと、いとおしくなる。
「陶酔?はつかの間ゆえにいとおしく花びら流れショパンの雨だれ」
「風立ちぬ馴染みしものへの未連など放り投げたし帽子のごとく」
齢を重ねて行くと過去や未連があるが、それを引きずっていると時々重いので、放り投げて全部淨化して生まれ変わりたいと思った時に作った歌です。
「陰謀に隠されいるかたちあおいうす紫に花開きおり」
孤独という言葉は私にはなじみがあります。
一番人間が寂しいというには、一人でいる時にはそんなに寂しくはない。
誰かと一緒にいて、その方がとってもいい方だとしても長い事一緒にいる時に、一人だけ外れてしまうという事があり、タイトな関係性の中で親しい友人が夫婦でいたりすると、私は外れているなと思う事があります。
そういうときは寂しいです、居場所がない。
そういうときは一人になって音楽を聞いたり、本を読んだりすると、外れることが可能な年齢になったのですが。
人って孤独じゃないですか。
「天空の星の孤独を思いたり金星水星また離れ行く」
広い空間でぽつんと浮いているのが、子供のころの体験と似た現象だと思って、天空の孤独に感情移入する訳ですが、星は寂しいんじゃなくて孤独だと思うんですが。
「エチュードに太古の風の吹きすさぶ立ちあがり来るショパンの孤独」
ショパンは私の中では寂しさととことん付き合って、孤独からこの音をつくりあげたのではないかと、孤独を愛していたからこの音が出てきたのではないかと思いました。
「体操の呼吸ずらしてひそかなる抵抗はかるくくられたくなく」
考え方、生き方、価値観、感じ方などそういうものが同調してくるのは、呼吸困難に陥るわけです。
ここから先というのが何かあるが、そういうとき孤独を思いだすわけです。
カウンセリングの勉強を長い事勉強してきました。(30代の後半ぐらいから)
前の臨床心理医師会会長の村瀬嘉代子さんから20年ぐらい指導していただきまいた。
歌集を謹呈致しました。
見かけとは違ってしみじみとそれでいて広く突き抜けたおおらかさのある短歌に感じ入りましたと評価していただいて、こう受け取る村瀬先生に感動しました。
読み取り側の豊かさ凄さで作品は生かされていくんだろうなと思います。
4歳年下の弟が自死しました。
父も不慮の事故で早く倒れてしまい、母も私が成人して直ぐに亡くなってしまいました。
弟を亡くした時には理解できなくてただ呆然として涙が出てきませんでした。
バッハのコンチェルトを聞いたら、突然涙が出続けてしまい、1時間以上泣いていました。
カウンセリングをしていたのに、弟に対してはカウンセリング的に対応していませんでした。
人それぞれその時精一杯なので、そこでそうせざるを得なかったということは、わたしも弟の事を自分の家族にかまけて見きれなかったので、精一杯というのはどうしようもないじゃないかなと、生き続けるしかない。
前よりも思いが深く届く人間になっていくしかないと思って作った歌です。
学校でいじめが無くならないのは、アクティブで元気な子等は行事等手伝ってくれるので先生にとって有難い生徒で、不器用だったりする生徒は仲間に入れなかったりするが、短歌の授業をしていましたが、或る生徒は仲間に入ることはできませんでした。
その子が作った歌
「友達を作れるものなら作ってるお道具箱の紙と鋏で」
その後彼女は爆発的に作って今は歌集を出そうかという歌人になっています。
短歌は苦しい思いを吐き出すのに非常にいいツールです。
歌によって理解してもらうことによって人は繋がる。
「一滴の悲しみおさえいんゆ(隠喩?)とす言葉と言葉の海を泳ぎて」
「たはやすく平和が好きというなかれ光り届かぬ闇を泳ぎぬ」
「殺すなよ人はやがて死ぬものぞつかのまわれら共存共栄」