2018年12月16日日曜日

芹沢安久(西伊豆しおかつお研究会会長)  ・【美味しい仕事人】かつお節の元祖を守る

芹沢安久(西伊豆しおかつお研究会会長) ・【美味しい仕事人】かつお節の元祖を守る
和食には欠かせない鰹節そのうまみは和食への関心が高まっている海外からも注目が集まっています。
静岡県西伊豆町田子地区では鰹節の元祖ともいえる塩鰹が現在も生産されています。
地元ではお正月の神棚に備えることから、正月魚ともよばれ年末が生産のピークです。
しかし塩鰹をつくるのが全国でもこの地域だけになったと言います。
そこで塩鰹の食文化を伝えると共に町おこしにも役立てようと町の有志で普及活動に取り組んでいます。

今ちょど最盛期です。
干す時間は3週間です。
11月ぐらいから西風が吹くので乾燥に利用しています。
鰹の内臓を抜いて、塩を沢山詰めます、1匹の鰹に2kgの塩を使います。
500本ぐらい作るので塩を1トンちょっと使います。
2週間浸けこんで、綺麗に洗って吊るして日影で3週間干します。
正月に稲わらで飾って玄関、神棚などにおそなえします。
神様へのお供えだったりとか、悪い事が起きないとか、家族の健康を願ったりします。
神様のお下がりを食べるという文化があるわけです。
食べることによって無病息災、開運、鰹が沢山取れるようになど祈願するわけです。
凄くしょっぱいので塩抜きして食べますが、こっちの人は塩抜きしないで食べます。
生ハムみたいに薄く切って酢につけて食べたり、レモンを絞って食べたりします。
一般的には焼いて食べます。
お茶づけにしたり、味噌汁代わりにお湯を注ぐと鰹スープになり、これが鰹だしの始まりだといわれています。
歴史は凄く古くて古墳時代あるいは飛鳥時代と言われています。
江戸時代になってから鰹節が出来て来る訳です。
昔は日本中で作られていたが、それが食文化の変化などからすべてなくなってしまって、この西伊豆地区だけになってしまいました。
正月に飾って食べるという文化が、ここだけになってしまいました。

江戸時代に西伊豆では鰹の3大産地、鰹節の3大名産地として有名でした。
土佐、薩摩、伊豆の3つが鰹の産地、鰹節の3大名産地として有名でした。
昔は鰹節船が40隻ありました、鰹節屋さんも40軒ありました。
田子湾は寄りあい港と言われて、嵐が来た時などに逃げ込む港でした。
そこから注文が多く来て、沢山鰹節をつくるようになり江戸等に運ばれました。
鰹節の発祥の地は和歌山県ですが、その製法を土佐の余市?という方が1800年代に伊豆に伝えるわけです。
製法を改良して西伊豆節をつくるわけです。
江戸で売ったら爆発的に売れました、鰹節が本枯節になって行きます。
本枯節の基礎を作ったのが田子節になります。
本枯節の一番おいしい食べ方は料理の直前に必要分だけ削って食べるのが一番です。
もう削らなくなったので、本枯節も後10年もすれば消えるのではないかと言われています。
食べなくなると作らなくなる。

本枯の鰹節をつくるのには生から半年かかります。
その間には50~60の複雑な工程があります。
簡単に言うと4つの皇帝になります。
①まず独特の切り方で鰹を切ります。
②煮込みます、90℃で2時間煮込む、骨を抜く、穴があいてしまうので余った身をペースト状にして穴を埋めます。
③焙乾します、薪を使って燻し乾かしてゆきますが、色々な方法があります。
うちでは手火山式焙乾製法という最も古い焙乾法を使ってやります。
2mに縦穴が掘ってあって、薪を投げ入れて火を付けて直接焙し乾かす製法でう。
表面が固くなるとうまみが逃げない。
それを何回も繰り返すが、その間に一日やったら一日休ませる、という手法を摂ります。
(少し戻しながら水分を抜いてゆく)
10回の焙乾をするのに1カ月ぐらいかかります。
半年持つ保存食になるが、更に持たせるために発行させます。
④麹菌の力によって水分を取ります。
杉の樽のなかに入れて高温多湿のむろの中においてカビをつけて20から30日置きます。
カビ臭くなるので天日干しをして今度は麹菌を弱らせます。
手で表面の麹菌を払って、また樽に入れて20から30日するとカビが復活して、水分、脂分を取ります。
そしてまた天日干しをします。
6から8回繰り返します。
そうすると半年ぐらいかかってしまいます。

手火山式焙乾製法にはルールがあって必ず地元の薪を使います。
ならくぬぎ、桜をブレンドして使います。
地元の木を使うことによって山が綺麗になり、川が綺麗になり、海が綺麗になります。
自然と自分たちの暮らしが繋がって、初めて自分たちの暮らしが成っているという事を昔の人は伝えたかった。
塩鰹は厳粛な行事となっていった。
この方法は東北、北海道に行くとしゃけに、日本海に行くとブリに変わって行く。
船主は塩鰹2本を神社仏閣に奉納する。
その後1本を船主は乗組員に対して料理する訳です。
食べた瞬間に「今年も宜しく」ということで契約する訳です。(神様がいる中での契約)

1本貰っても食べきれないという事があるが、食べてもらわないものはだんだん無くなって最終的には無くなってしまうという事で危機感があり、10年前からしおかつお研究会を立ち上げて、残しておこうという事で、切り身にしたり、焼いたり色々な方法を考えました。
食べやすくするためふりかけも作りました。
最初売れなかったが、宣伝して少しずつ売れるようになり、御当地グルメにも参戦して、うどんにふりかけて西伊豆塩鰹うどんということで、温泉卵もいれました。
2010年から学校給食で、西伊豆塩鰹うどんを提供していただくようになり、段々地元に浸透していきました。
鰹文化を語る上にもルーツと言える塩鰹節は、欠かせないものなので伝えて行きたいと思います。
うちの会社は見学できるようになっていて、昨年外国の方も160人ぐらい見学に来ています。
塩鰹節を見て「年神様だね」といってくれて、外国の人はよく勉強して見に来ていると思いました。