2018年12月27日木曜日

高田繁(前横浜ベイスターズGM)     ・プロ野球への伝言

高田繁(前横浜ベイスターズGM)     ・プロ野球への伝言
昭和43年に巨人からデビュー、以来50年に渡りプロ野球の仕事に携わってきましたが、今年を最期にプロ野球界から離れることになりました。

ドラフト会議が最期の仕事になりました。
2011年12月に就任、7年間を振り返ってみると、まず2年間の約束でした。
当時65歳、チーム作りに手を貸しててほしいという事で引き受けました。
結局7年になりました。
現役を経てNHKの解説員、コーチ、監督等、フロント、GMプロ野球の仕事を浪人しないで50年間過ごしてきてこんな幸せな事は無いです。
1945年に疎開先の鹿児島で生まれました。
大阪に戻ってきて、浪商高校、明治大学、ドラフト1位で巨人に入団。
尾崎行雄投手を擁して優勝、大学時代は7シーズン連続ベストナイン(1年秋から)、通産127安打の東京6大学の記録も作る。
昭和43年に巨人からデビュー、いきなりレギュラーに定着して3割、20盗塁以上、新人王、日本シリーズでも活躍して走攻守揃った選手として巨人のV9に貢献、ゴールデングラブ賞を外野手で4回、内野手で2回取る。
5年間3塁をやりましたが、外野の方が自信がありました。
35歳で現役を引退しました。

野球解説の後、日本ハムの監督、巨人のヘッドコーチ、二軍監督、日本ハムのGMを務める。
2008年からはヤクルトスワローズの監督、2010年5月に監督辞任、やりきったなあと思いました。
横浜ベイスターズが誕生して2011年にGMの話が来ました。
監督、選手等のチーム作り編成の仕事を先頭に立って、中心でやると言うことです。
お金のことに関しては専門家が担当するということにはっきりしていました。
フロントがチーム作りをして監督に渡すと言うようなことは日本ではあまりないと思います。
どちらがいいかというと、何とも言えないと思いますが。
監督が変わるとガラッと変わることだけは避けた方がいいと思います。
アメリカと同じような形、フロンがチーム作りをやって欲しいと、日本ハムから言われました。
我々フロントが行って、ファームの選手の育成方法を話し合う。
ダルビッシュの時には一軍にいったら力を出すと思って、ヒルマン監督に強く推薦して、それから彼は1軍に定着しました。
糸井は4年ピッチャーをしましたが、チームで一番足が早いし打撃もいいのでという事で野手に転向した方がいいのではないかと、強く要請しました。
来年の1軍のキャンプには参加できなけらばいらないからと言ったら、あれだけの選手になりました。
イージーフライをミスしていたことがあるが、まさかゴールデングラブ賞を取る選手になろうとは思わなかった。
選手の持っている能力、変更のタイミングが重要です。
なかなか3拍子揃っている選手は少ないが、バッティングがいいから1軍の代打で貢献してくれるのではないかという選手もいます。

日本ハム時代の事をDeNAでも踏襲しています。
東 克樹、阪口 皓亮、今永 昇太、山﨑 康晃、等の選手のプランニング、先発ピッチャーは3人ぐらいしか見あたりませんでした。
今年あたりからは野手も高校生から取りたいと思っています。
マネーゲームの様に選手を取ってと云うよりも、自前で選手を育てて行くことが重要だと思っています。
広島、日本ハムはFAを一人も取っていませんが、強いチームが出来ていますから、それを参考にしたりすると強いチームをつくる面白さがあると思います。
今後はアマチュアを好きな時に行って、教えに行きたいなあと思っています。
庭に野菜、花を植えて育てるのが楽しみです。
野球離れ、我々が子供のころはまずは野球でしたが、今は色々なスポーツがあり、野球人口は少なくなってきていますが、指導者は野球の面白さを教えて行ってほしいと思います。
ファンにサインをするとかも大事ですが、良い内容の試合をすることによって、まだまだ野球は栄えると思います。